中国との出会い!!

上海上陸作戦

上海上陸作戦

私の初めての海外は中国です(古代風水研究の原点「中国出張」参照)。1989年6月に天安門事件が起り、その約6か月後の12月です。

 

 名古屋空港から上海へ飛んだのですが、緊張で正直ドキドキでした。座席はビジネスクラス、CA(当時はスチュワーデスと呼んでましたね)さんに勧められるまま、ワインの小瓶をぐびぐび飲んでました(笑)。

 

 無事に上海虹橋空港に到着したのですが、入国カードの事など頭にない私は、イミグレで困ったちゃん状態に(後ろにいた方々、その節は御迷惑をおかけいたしました)。

 

 税関をくぐったところで、成田から来る商社のお兄ちゃん(Nさん)と待ち合わせです。30分程で無事落ち合う事が出来一安心しました。

 

 待合所は出迎えの人垣でいっぱいですが、Nさんが「おかしいなぁ」と言っています。「如何したんですか」「通訳が出迎えてくれる筈なんですが・・・」。

 

 Nさんによると、通訳とは面識がなく、以前上海事務所のスタッフだったのですが、天安門事件後事務所を閉鎖した為、現在フリーなんだとの事。

 

 待てども埒が明かないので、私はノートを取り出し、「××商事 N○」と書き、出迎えの人垣の中に差し出しながら歩いていると、背の高い色白(多分満州族)のお兄ちゃん登場(王さん)。

 

 正直なところ「日本語上手くないし、対応悪過ぎだろ」と言う言葉を飲み込み、お土産渡して取りあえずホテルへ。

 

 この当時の上海は、現在とは大違いで、空港から市街までの間、田園風景が続くのどかな印象でしたが、外灘(旧租界)地区に入ると、流石歴史の重みを感じました。

 

 ホテルは錦江飯店。上海でも指折りのホテルです。贅沢をした訳ではなく、外国人が泊まれるホテルは限られていたのです(外貨獲得の為)。

 

 内装は質素ですが、アンティークな家具は、重厚感あり過ぎで、20代半ばの私はちょっと気が引けたのですが、すぐさま写真を撮りまくった記憶があります。

 

 その当時の写真を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。見つかり次第別の機会に御紹介したいと思います。すみません。

 

 取りあえず休んで、夜、これから始まる原料調査の結団式と称して上海ガニを食べようと言う事になり、王さんの紹介で近くのレストランへ行く事に・・・

 

 ホテルを一歩出ると、真っ暗です。この当時、中国は電気事情が悪く、しょっちゅう停電があったのですが、基本的に街灯なんてないのです。

 

 真っ暗な大通りを仕事帰りの人々が、猛スピードで自転車を走らせています。ちょっと恐怖を覚えました。

 

 更に、王さん紹介の店は休みで(アンタ使えんなぁ〜)、歩き回る事30分程でやっと上海蟹を食べる事が出来ましたが、思った程美味しいとは思わなかったですね。

 

 *(この一週間後に広東省で食べた蟹は最高でした。蟹の種類が違い、甲羅の中には卵が詰まっており、美味しゅうございました。因みに「ゴーハイ」と言います。香港に行ったら上海蟹では無く、「ゴーハイ」と言って注文しましょう。絶品です。)

 

 暗闇の中での(実際はローソクの灯りの中)結団式も終わり、無事、上海上陸作戦は終了。初めての経験ばかりで、深い深い眠りの中へ・・・

 

 この先、暗雲が垂れ込めるとも知らず、能天気な白楽雲青年26歳です。


武漢侵攻

武漢侵攻

前日、無事上海上陸を果たした私は、ホテルで遅めの朝食(8時)を摂り、明日訪問する湖北省の国営企業の上海事務所を訪問し、上海港の視察です。

 

 この当時、港は軍事拠点でもあり、写真撮影は厳禁。またまだ、民主的とは到底程遠い感のある中国でした。今でもそんな部分は多々残っていますけど・・・。

 

 一旦ホテルに戻り、これからの武漢侵攻作戦を練り、侵攻開始(フライト時間17時)まで市内の偵察(観光)をする事に。偵察服(普段着)に着替えホテルで昼食を摂り、いざ出発。

 

 とっ言っても、見るべきものはあまりなかったですね。取りあえず、魯迅公園の写真を載せておきます。つまらないでしょうが御容赦を(魯迅さんごめんね)。

 

魯迅

魯迅像(子供がかわいい)

 

魯迅

魯迅先生の墓

 

 さあ、もう上海には用はありません。武漢目指して空港へ。しかし、17時のフライトが遅延に次ぐ遅延、遅くとも19時には侵攻完了の筈が、もう22時です。

 

 流石国営企業、責任者と通訳(日本語上手)が出迎えてくれ、取りあえずホテルへ。ホテルは、長江大酒店(香港資本のまあまあしゃれたホテル)です。

 

 中国のホテルは、飯店(飯屋じゃありません)か、酒店(酒屋又は飲屋じゃありません)と言います。飯屋は餐庁、飲屋は酒家ってとこでしょうか。

 

 明日の予定を簡単に打ち合わせ、食事をと思ったのですが、何処も閉まっています。畜生、敵もさるもの兵糧攻めに遭うとは計算違いだぜ・・・。

 

 しかし、こんな事もあろうかと、キャンプ用固形燃料と小型なべを持って来て良かった。この頃は、固形燃料の機内持ち込みは許されていました(今は取り上げられます)。

 

 インスタントラーメンを、Nさん(商社のお兄ちゃん)と王さん(通訳)と私の3人分作り、何とか腹ごしらえを終え、かなり手こずりましたが、武漢侵攻に成功です。さあ寝ましょう。

 

 武漢市は、長江(揚子江)と漢水と言う最大の支流が合流する場所にあります。武漢三鎮と言って、武昌、漢口、漢陽の3つの町を合わせた呼び名です。

 

 朝7時に起き、窓の外を見ると、トロリーバスが走っています。。自動車の運転教本で、名前だけは知っていたのですが、見るのは初めてです。

 

武漢

 

 写真が古いのと、窓が汚れているのと、武漢が埃っぽい為に、見難い事を御容赦下さい。左のバスがロータリーを回って正面に来たところで、架線が外れ立ち往生しました。運転手が直そうとするのですが上手く行かず、笑えました。バスは鮨詰です(お気の毒に)。

 

 さぁ〜、原料調査の本番はこれからです。気を引き締めて行きましょうか・・・。

 

(つづく)


長江沿いの攻防

長江沿いの攻防

8時に国営企業の出迎えを受けワゴン車に乗り込み出発。朝はすごい人です。

 

死の淵からの生還

 

 先ず、町中の屋台で朝食です。「主食は何にしますか」と聞かれても・・・」。「何がありますか」「粥、面、饅頭(マントウ)」。「ちょっとずつ全部食べてみたいのですが」と言うと、どっさりと出て来ました。

 

 昨日はひもじい思いをしましたが、朝からこの量は・・・て、皆で食べるんかい(当たり前だろ)。粥は微妙。面はスープが薄、それに、香菜(パクチー)がゲロマズ(今は好きですが初めて食べたので)。さては毒を盛られたか(な訳あるかい)。

 

 饅頭は蒸パンで、日本の饅頭とは違います。蒸パンそのもの(銀饅頭)と揚げた物(金饅頭)の二種類。練乳をつけて食べます。私は金饅頭の方が好きですね(てめーは金に眼が眩むからな)。

 

 それより、店先に置いてある油揚げの様な長細いものが気になって仕方がありません。「あれ何ですか」「油条です、食べますか」「はい」(て、食い意地張ってんなぁ)。小麦粉に重曹などを入れて揚げた物で、揚げパンの様な・・・不味くはありません。

 

 腹ごしらえも終わり、いざ出発です。

 

 武漢を出ると道が途端に悪くなります。舗装も凸凹。うまくよけて行きますが、ちんたらちんたら、ん〜我慢我慢。地道はも〜大騒ぎです。頭ぶつけるわ、大揺するわ、わやです。やっぱり戦闘用のヘルメット持って来るべきでした。

 

 3時間半程かかって、ようやく舟渡場へ到着。今回初めての渡河作戦です。ワゴン車ごとフェリーボートに乗り込み、対岸までは2・3kmはあるでしょう。

 

死の淵からの生還
死の淵からの生還

 

 雄大な長江の舟渡を堪能し、渡河作戦無事終了です。対岸に着くと。ここで昼食を摂る事に。まぁまぁ立派なレストランの屋外で、長江の雄大な眺めを見ながらの食事です。

 

 店員が、大きな器(洗面器だろ)に、食器を入れてやって来ました。そして、洗面器にポットから熱湯を入れています。テーブルの上には何故かトイレットペーパーが・・・。

 

 箸で器用にコップを回しながら、なるほど、熱湯消毒とは何と衛生的な・・・。そして、一人ずつ食器を配ると、各人トイレットペーパーで食器を拭き始めました。なるほど、その為のトイレットペバーか、何と合理的な・・・って・・・。

 

 郷に入れば郷に従えです。ウエットティッシュあるけど、ここは戦場です(なんじゃそれ)、自分勝手な行動は慎むべきです(彼らに悪いので)。

 

 「ビール飲みますか」、今日は移動だけだから「はい」と即答。でも、ぬるいビールと熱湯消毒後のコップです。通訳(国営企業側)が気を利かせて氷を持ってこさせましたが、その手には乗らないぜ。

 

 どんな水で造ったか解りゃしません。腹壊したら敵の思う壺です。丁重にお断りし、美味しいと評判の青島ビールの味は「ん〜マンダム」(不味いって事だろ)。

 

 出された料理はあまり覚えていません。ただ、武昌魚(長江中流域に生息する鯉に似たごっつい淡水魚です)の煮つけが要注意。

 

 淡白な白身ですが、兎に角骨が多い。それも三俣の骨。喉に引っかかったら大事です。これも敵の作戦か。取りあえず、不味いビールで誤魔化して昼食終了。

 

 またも悪路の行軍再開。しかし、そんな苦難の行軍の中にも、心休まる風景もあります。日本では見る事のない、原始的な風景。古き良き中国の風景をどうぞ。

 

水牛
池: 

 

 長閑でしょ。今ではもう見られないかも知れませんね。

 

 さぁ〜、目的地はもうすぐです。結局、武漢から東へ直線距離にして約120q、所要時間約6時間でキ(草かんむりに斬+車の上は口2つ)春県にやって来ました。兎に角、宿舎で休みたいですね。

 

 しかしそうは問屋が卸しません。港の見学と称し、キ(同上)州港へとワゴン車は向かうのでした。

 

(つづく)


戦場の不思議な夢

戦場の不思議な夢

キ(草かんむりに斬+車の上は口2つ)州港と言っても、御覧の通り港湾設備などありません。艀を横付けして人力で艀に積み込み、上海港又は武漢港で本船に積み替えるのです。正直言って、原料調査の段階で港には興味ありません。

 

?州港

 

 私はさっさと今晩の宿舎に行きたいのに、李時珍(誰だそいつは)の墓に行きましょうと言って、連れて来られたのが、この写真です。

 

李時珍

 

 李時珍は明代の有名な医師です。東洋医学(中医)の聖典「本草綱目」を編纂した偉大な方です(先程は失礼しました)。石像の奥(石段の上)に、李時珍と両親の墓があります。

 

 李時珍は代々続く医師の子として、キ(同上)州で生まれ育ち、名医との名声を買われ、明朝に出仕しますが、間もなくキ(同上)州に戻り、地元に貢献したそうです。

 

 韓国では李時珍は韓国人で、中国人の捏造だと主張しているそうな・・・。しかし、その当時の私には「そんなの関係ねぇ〜」。「早く宿舎へ行こうよぉ〜」(情けねぇ〜な)。

 

 やっと、キ(同上)春県の宿舎へ到着です。この当時ホテルなど無く、招待所(簡易宿泊所的なもの)です。毛沢東、ケ小平が泊まったそうな。

 

?春

 

 

 私はケ小平の泊まったと言う部屋をあてがわれました(光栄です)が、部屋の内部は御覧の通りです。羨ましいでしょ(どこが・・・)。ここは戦場ですので仕方ありません。

 

?春
?春
?春

 

 部屋で1時間程休んだ後、最高級のレストランで夕食です(って、どこが最高級なんだよ)。店構えは、一昔前の農家の納屋。土間と土壁、裸電球、正に戦場そのものです。

 

 暗くてどんな料理か良く解りません。油の質が悪いのでしょう。どれもいまいち美味くありません(はっきり言っちゃえよ)。いや、とても食べられたものではありません。

 

 そして何と言っても、米焼酎とでも言いましょうか、白酒と言う酒です。箱には茅台酒と書いてあります。これが有名な茅台酒か。アルコール度60〜70の強い酒とは聞いていましたが、飲んだ事はありません。

 

 先ずは、激ぬるの青島ビールで乾杯。激不味料理を食べていると、県知事(日本で言えば町長)と言う男が茅台で乾杯を要求。御猪口よりも小さな杯です。

 

 楽勝と思って、口に入れた途端、鼻へと抜ける異臭と喉への刺激(キツイ)。例えて言えば、パイナップルとセメダインを合わせた香りとでも言いましょうか。この匂いが鼻に付くのです。

 

 これを機会に、次から次えと乾杯の要求が。多勢に無勢(これがお前らのやり方かぁ〜)、茅台飲んでは激ぬるビールで口直しを10回以上したでしょうか、すっぽんの姿煮がやって来て、奴らはそれに夢中です。

 

 私にも食えと言うので仕方なく食べましたが、言わなくても解りますよね。そして玉子らしきものが登場。「これ何」「ピータンです」。ピータンなら中華料理で食べた事あるからと安心して殻を剥がして口の中に・・・。

 

 三分の一ほど口に入れた瞬間、口から鼻へと駆け抜ける強烈なアンモニア臭。思わず吐き出そうとする私を見る敵の無数の瞳がそれを許さじと言っている様に見えます。

 

 三分の二を取り皿に置き、「え〜い、ままよ」とばかりに茅台をあおり(臭いを中和)、激ぬるビールで流し込み、何とか面目を保ちました。こんなとこにも地雷を置きやがって、全く安心も出来ません。

 

 そしてまた、乾杯の応酬を繰り返し、こちらももう限界と言うところでお開きと相成り、何とかよれよれながらも踏み止まりはしたものの、合点が行きません。

 

 私は酒には強い方で、多勢に無勢とは言うものの、奴らは全くケロッとしています。何かからくりがある筈だと思ったのですが、それとも中国人は酒が強いのか。

 

 外に出ると大勢のひとだかりが。宿舎で通訳(使えん方の)王さんに聞くと、我々を早く返して、残り物でこれから宴会を始めるのだそうです。なるほどね(何となく解った気がします)。

 

 それはそうと、このままでは間違いなく明日の仕事に支障をきたすと判断した私は、胃の洗浄に取り掛かりました。学生時代に習得した方法です。

 

 お食事中の方はスルーしてね。先ず、水をがぶ飲みし、ベットの上で2・3回転げまわりトイレへ。これを2回繰り返し、日本から持ってきたカップうどんを食べます。そしてまた水を飲む。

 

 これで、十二指腸と血中のアルコールの処理だけで済みますので、私の肝臓も朝までに処理出来るでしょう。ちょっと疲れたので横になっていると、そのまま寝てしまいました。

 

 夢を見ました。私が山を登っていると、白い石の塊があり、近づくと霧がかかって何も見えません。霧の中に少年が立っています。「何してるの」「ここに居れば会えると思って待っていました」「・・・」。

 

 「君は誰」「ずうっと後で解るよ」「ずうっと後って何時」「ずうっと、ずうっと、・・・」と言って、手を振りながら消えて行きました。

 

(つづく)


天王山

天王山

朝6時に目が覚めました。昨日の胃洗浄の御蔭で、アルコールは上手く抜けた様です。前回の記事に載せた写真の小汚いバスタブにお湯を入れ、朝風呂と洒落込みました。

 

 湯につかりながら、先程見た不思議な夢について考えてみたのですが、白い石は解ります。それを探しに来たのですから。しかし、少年の言った意味がさっぱり解りません。

 

 時々あるのですが、何かを暗示していたり、全く関係ない場合もありますので、気にしても仕方がありません。

 

 それよりも、今日の調査が決戦となります。「上海上陸作戦」からここまで、戦場を行く兵士の如き表現をしたのには理由があります。

 

 私のブログを以前からお読みの方は御存じかも知れませんが、入社早々研究所に配属され、3年後に研究所を金食い虫と揶揄する稼ぎ頭の営業部に配属されたのですから、私の立場がどんなものか想像に難くないでしょう。

 

 ある製品のグレードアップの為に原料を探していたのですが見つからず、商社から調査の申し入れがあったものの、当時の中国に行きたがる奴はいません。

 

 嫌な思いをしても、良い原料なんて見つかる訳が無いのです。私が金を使って中国出張した後、何を言われるか想像できますし、その後の立場が悪化するのも明らかです。

 

 良い原料が見つからないにせよ、商社や中国人に馬鹿にされる事なく、誰もが唸るほどの調査報告書を提出し、痛手は最小限に食い止めなければならないのです。

 

 つまり、私にとっては上海上陸から既に戦闘状態と言っても良いのです。商社の上層部と会社の上層部は?がっており、些細な失敗が命取りになりかねません。

 

 今日一日が私にとっての天王山です。

 

 昨日の宴会場であった小汚い高級レストランで朝食です。御粥に搾菜と油条を刻んだものを入れるとなかなかいけます。今回一番旨かったかも。3杯平らげ戦闘準備完了です。

 

 いざ、出発です。道すがらのキ(草かんむりに斬+車の上は口2つ)春の朝の風景をどうぞ・・・。

 

死の淵からの生還
死の淵からの生還
死の淵からの生還

 

 商社のNさんには、使えない通訳(王さん)に付いてもらい、私には国営企業の通訳に付いてもらう様、了解済みです。だって、王さんはNさんが調達した通訳ですから。

 

 田園風景を見ながら目的地に到着したのは約20分後、大公郷(村と言ったところ)と言う集落です。ここから緩やかな斜面を徒歩で登って行きます。なんか夢で見た様な・・・。

 

 子供が駆け寄って来ますが、親に制止されこちらを見ています。しかし、何処の子供も同じですね。好奇心が勝ってしまい、親の制止を振り切り私達について来ます。

 

 しばらくして後ろを見ると、子供の後を大人達もぞろぞろと金魚の糞の様について来るではないですか。さしずめ私は有名人の如く、30人ほどの老若男女を引き連れ、斜面を進んで行くのでした。

 

 すると、突然視界が開け、「あっ」・・・

 

(つづく)


人気者

人気者

目の前の視界が開け、私の目に飛び込んできた光景がこれだ!! 1.2.3(古)。

 

人気者

 

 更にどんどん進んでいくと、これだ!! 1.2.3(もういいっての)。

 

人気者

 

 「そうか、夢が暗示していたのはこれか」と納得しながらも、「でも、少年は何処」。

 

人気者

 

 この子たちでは小さ過ぎるし、あの少年は12・3歳に見えたけど・・・。まぁ、そんな事は如何でも良いのです。でも、可愛い子達です。野生児ってとこでしょうか。私の子供の頃みたいです(笑)。この子達も今では30歳を超えているでしょう(もうオッサンだな)。

 

 さて、やる事は山ほどあります。歩測での測量、人の身長から高さの推測、鉱脈の潜り込み角度等で、正確な図面の作成と既に採掘された鉱量及び推定埋蔵量(可採埋蔵量)を計算します。

 

 通訳(国営企業の使える方ね)に鉱山の名前を聞くと、「無い」とあっさり。ならば、「この山の名前は何」と聞くと、ついて来た村人に訪ね「小○○山だそうです」。「え」「貴方の子供の山と言う意味になりますね」。

 

 私の苗字に小を付けた山。中国では目下の者の苗字に小をつけますが、親と子供を区別する為に、子供に小をつけて呼ぶ事もあります。「なるほど」と私は因縁を感じたのですが、もうここに来ることは無いだろうと思ったのでした。

 

 見ての通りあまり綺麗な石ではありません(当時使用していたインドの石は純白でとても綺麗です)ので、まず期待出来ないでしょうが、折角来たのですから10個所からハンマーで叩いて割り、サンプルを採取(これは骨が折れます)。

 

 私に付いたギャラリーです(人気者はつらい)。って、ちょっと怖いですよ。何処に行ってもこれです。何が面白いのか。いたたまれず笑顔を向けると、皆満面の笑みで喜ぶのです。

 

人気者

 

 こんな何も無い村では人が訪ねて来るのも珍しいのに、外国人となると尚更なのでしょう。また、この鉱山は彼らの収入源でもあるのですから。やはり子供が前に来るのですね。

 

 私の持っている物全てが珍しい様で、バックの中をしげしげと覗くのです(決して取ったりはしませんが)。私がサンプル袋にマジックで字を書くたび喜んでいます。漢字を書くと「おー」って日本も漢字使うんだぞ。  

 

 こんなやり取りが、後2個所の鉱山で繰り広げられたのですが、どの鉱山も期待が持てそうにないので、意気消沈する白楽雲青年でした。

 

 キ(草かんむりに斬+車の上は口2つ)春に戻り、例のズタボロの高級レストラン(本当にここしか無いのかよ)で遅い昼食です。意気消沈の私は食欲など無く、何を食べたのか覚えていません。

 

 昼食が終わり、キ(同上)春の町ともお別れです(二度と来ないでしょう)。しかし、この貧しい街が5年後、北京?香港鉄道の湖北省での開発拠点となり、急速な発展を遂げるとは・・・。

 

 再び長江をフェリーで渡り、大冶県に到着。前半戦最後の鉱山です。しかし、ここは商社のクレーム処理につき合わされた形(そもそもこの為にアドバイザーとして呼ばれた様なもの)で、興味ないのです。

 

 すでに4時近くですので、国営企業から鉱山調査は明日と言われたのですが、こんな所から一刻も早く逃げ出したい私は(だって武漢のホテルでゆっくり休みたいので)、商社のNさんと相談し、強行しました。

 

 これで前半戦の調査は終わりましたが、今晩の宴会が残っています。また茅台酒での乾杯の嵐かと思うと、気が重い白楽雲青年26歳未だに独身でした(関係ないだろ)。 

 

(つづく)


お前らのカラクリは全てお見通しだ!!

お前らのカラクリは全てお見通しだ!!

前半(湖北省)の原料調査は終了ですが、地元との宴会が残っています。ここ大冶県(県は日本で言う町)は?春県より発展している様です。

 

 県知事も副県知事も来ていません(?春県が如何に私達に期待しているかが解りますね)。宴会場もそれなりの造りです。

 

 例によってぬるいビールでの乾杯と思いきや、冷えています(キンキンとは言えませんが)。ドイツとの合弁の「中徳(徳はドイツの意)ビール」です。青島ビールより美味い。

 

 「日本人は牛肉が好きでしょう」と言って、牛肉を野菜と炒めた料理を勧められ、一欠けら口に放り込んで後悔です。商社のNさんと顔を見合せお互い頷き、ビールで一気に流し込みました。

 

 吐き出せば、彼らの面子をつぶします。本当は最後の調査は明日の予定でした。それもクレーム処理的要素が高い調査です。中国側は有利に運ぼうと考えたのでしょう。だから牛肉に細工をしたのです。

 

 「これがお前らのやり方かぁ〜、腐った肉喰わせて体調不良にするつもりだったのだな」。Nさんに耳打ちして、茅台酒での5回連続乾杯の先制攻撃を仕掛けました。胃内のアルコール消毒です。

 

 しかし、これが全ての謎を解決へと導いてくれたのです。杯を干すと空かさず茅台酒を注いでくれるのですが、私達には右のボトル、彼等には左のボトルです。左のボトルにはアルコール度の極めて低い酒が入っている筈です(水だろ)。

 

 私は杯を飲み干すと、空かさず右のボトルを取り、彼らの杯に並々と注いでやり、彼らがボトルを寄越せと言うので、自分でやりますと手で制し、右のボトルをNさんに渡し、左のボトルの酒を私達の杯に注ぎました。

 

 これ以降、彼らは乾杯を挑んできません。私達が乾杯を挑んで来ないかと気が気でなかったでしょう。「お前らのカラクリは全てお見通しだ!!」(由紀恵ちゃんかお前は)。

 

 「昨日から飲み過ぎなので、ビールで行きましょう」と安心させながら、宴会の最後に、「最後は茅台酒で行きましょう」(意地が悪いな)。杯を持つふりして私とNさんの杯をひっくり返してあげました(王さんは酒が飲めませんので)。

 

 一応これで解ったでしょう。「貴方達の面子を決して傷つけたりしないよ」と言うメッセージです。これが中国人の面子なのです。見え透いてても言わない。言ってしまうと根に持たれます。ばらしたらお終いなのです。

 

 この日は早めに寝て、翌日朝食は?春で食べた御粥を所望し、来た道を引き返し、12時過ぎに武漢に辿り付き昼食です。武漢の飯は田舎飯を食わされたせいか、とても美味しくいただけました。

 

 今回の案内に対するお礼に、夕食の招待を申し入れ、彼らのお奨めの場所と料理を予約してもらう様に御願いしました。最後にもう一回戦です。

 

 昼食後、ホテルで休みたかったのですが、観光に行きましょうと言うので、仕方なく行く事にしました。正直なところ、肉体的にも精神的にもクタクタだったのです。やれやれ。

 

 連れて行ってくれたところが、これだ!! 1.2.3(ええ加減にしとかな、どつくぞ)。

 

死の淵からの生還 

 

 御存じの方も多いと思いますが、李白の詩、「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」(長いな)に登場する黄鶴楼です。しかしこれは、1985年に現在地に再建されたものです。

 

 黄鶴楼の最上部から「黄鶴楼にて長江大橋を眺める」の詩でも書こうかな(お前には無理)。

 

死の淵からの生還

 

 黄鶴楼は長江大橋(旧ソ連の援助)建設の邪魔になるからと、取り壊されたのです。その後も、毛沢東と4人組による文化大革命で、多くの旧跡が失われてしまった事は人類にとって多大の損失であったと思います。

 

 我が国に正しい歴史認識を持てと言うならば、自分たちの歴史を先ず大事にして欲しいものです。中国の方と仲良くなろうと、中国の歴史を勉強したのですが、歴史を知っている中国人は非常に少ないですよ。

 

 まぁ〜他所の国が如何であれ関係ないですけどね。日本が平和で住み易ければ・・・。

 

(つづく)


息子の出生の秘密

息子の出生の秘密

ここで、少し話を前に進めます。

 

 前半の原料調査で期待が持てないと落胆した私ですが、最初に訪れた小○○山のサンプルが非常に不純物が少ない事が解り、主力製品の原料として君臨する事になります。

 

 ライバル社を抑え、最高レベルの製品として、シェアほぼ100%の化け物と成ったのです。人は見かけによらぬものと言いますが、本当にそう思いました(石だけどな)。
 結局、この鉱山を5回訪問しました。最後の訪問は、2002年12月、鉱山の閉山にともなう最後の荷の検品を兼ね、別れを告げる事が出来ました。

 

 山の頂に上り、湖北省の大地を360度見渡し、この山が見てきた風景(周瑜の船団が赤壁へ向かうのも見たのでしょうね)を目に焼き付け、永遠の別れをしました。私の息子と言う名の小○○山に。

 

 その約10か月後、私に本当の息子が授かりました。中国風に言えば「小○○」です。私は出産に立ち会ったのですが、その時、「戦場の不思議な夢」で見た不思議な少年の言った言葉を理解しました。ずっと引っかかっていたのです。

 

 夢の中で、「何してるの」「ここに居れば会えると思って待っていました」「・・・、君は誰」「ずうっと後で解るよ」「ずうっと後って何時」「ずうっと、ずうっと、・・・」と言って、手を振りながら消えて行った少年とのやり取りを。

 

 読者の皆さんの中には、「何を馬鹿な事を」とおっしゃる方も多いでしょう。当然です。私も出来ればおかしな事に出遭いたくないと思って生きています。そのほとんどが良からぬ事なのですから。

 

 しかし、これは数少ない、喜ばしい出逢いだったと思っています。この事で私の人生は大きく変わったのですから。同時に、息子は生まれる14年も前に私を待っていたのですから(と思いたいだけだろ)。

 

息子の出生の秘密
息子の出生の秘密

 

 上は小○○山、下が私の息子(小○○)

 

 写真を見比べると似てませんか。これが息子の出生の秘密です(そんな訳あるかい)。実はもう一つ出生の秘密があるのですが、それはまたの機会に致しやしょう(お前の家族は何やねん)。

 

 ところで、?春はその北に大規模な龍脈が存在し、強いエネルギーを受けています。東洋医学(中医)の聖典「本草綱目」を編纂した李時珍がこの地に誕生したのも関係があると考えたいですね。

 

 私がおかしな夢を見たのも強い龍脈エネルギーを受けた為かも知れません。貴方の身にも何時か不思議な事が起るかも知れませんよ。それが良い事であるよう願っています。

 

 たまにはこんな、不可解な話もさせて下さい。普段の生活の中で決して公言できない事なのです。こんな話を真面目にすると、大抵の人はドン引きするか、まともに相手をしてくれません。

 

 今この記事を読んでドン引きしている方、決して霊感ブログではありません。単なる馬鹿話だと思って笑って許して下さいな・・・。

 

 断っておきますが、普段の白楽雲は到って常識的な人間なのです(嘘つけ)。

 

(つづく)


楚漢戦争の行方

楚漢戦争の行方

ここで話を元に戻します。前半の調査は結果的に大成果をもたらすのですが、この段階では何も知らない白楽雲青年です。

 

 個別の戦いでは苦戦しながらも勝利しましたが、肝心の戦果としては期待出来るものでは無く、落胆を隠しきれない私でしたが、前半戦最後の戦いが残っています。

 

 今回の調査の御礼に国営企業の面々を招待した宴会です。場所と料理のセッティングは彼らに任せざるを得ないので、今回も敵陣での戦いとなり、苦戦が予想されます。

 

 武漢でも一二を争うと言う評判だけあって、立派なレストランです。通されたのは小ざっぱりとした個室で、壁いっぱいに楚漢戦争を題材とした絵画が迫力を伴って目に飛び込んで来ました。

 

 左に、漢高祖(劉邦)、右に、西楚覇王(項羽)と書かれた人物が対峙して睨み合っています。果たして私は、劉邦かはたまた項羽か、四面楚歌の私達は項羽と言ったところでしょう。

 

 出来れば「凱歌の戦」では無く、「鴻門の会」であって欲しいものです。

 

 しかし、私の予想に反し、とてもフレンドリーな会と成ったのはありがたい事でした。料理の事は覚えていませんが、不味くは無かったと思います。

 

 この当時、中国に行くと会社の連中には「本場の中華はさぞ美味かっただろう」と羨まれたのですが、世界で一番美味しい中華は日本の中華だと断言出来ます。

 

 国営企業の鉱産部長(女性)の何さんが非常に明るい方で、踊りながら歌を歌うなど和やかな雰囲気で、今回一番楽な戦いでした。
 楚漢戦争の行方                 

とにかく明るい何さん

 

 「いや、お美しいですね」と柄でもないお世辞を言うと、「46歳(かぞえですから満45歳)のおばさんですよ」と言いながらも嬉しそうでしたね。

 

 本人曰く、生まれてこの方化粧などした事ないとの事です。それにしては張りのある綺麗なお肌でした(こんな事日本で言えば叱られそうですが)。

 

 因みに、何さんの左で手を叩いているのは、何さんの右腕とも言うべき孫さんです。今回私達に同行してくれました。彼が10年後、総経理(社長)となるとは・・・

 

 三日間の戦いで彼らも私達の事を解ってくれたのでしょう。以降、何時来てもフレンドリーな対応をしてくれました。

 

 この時、私は当り障りのない付き合いよりも、本音の付き合いをした方が中国人には理解されると言う事を学んだと思います(但し、彼らの面子を傷つけない配慮はいります)。

 

 あまり深酒する事無くお開きとなり、ホテルに戻った私は、今回の出張で初めてまったりとした中国の夜を過ごしたのです。

 

 明日は午前中(10時まで)彼らとミーティングし、私は空路次なる戦場「広州」へと転戦する事になります。

 

(つづく)


思わぬ窮地と気楽な援護射撃

思わぬ窮地と気楽な援護射撃

まったりとした一夜を過ごした私は、翌朝早く目が覚め、単身、早朝の武漢を偵察(散策)する事にしました。

 

 少し歩くと屋台が転々としています。御粥、饅頭(マントウ)、点心、面、などの屋台が通りを占領し、大勢の客が所狭しと朝食を頬張っています。

 

 ちょっと変わった店を発見。丁度、日本の祭りで見かける様な屋台です(愛犬家の方には一部不快な表現が含まれていますのでスルーして下さい)。

 

 「熱狗」と書いてあります。「狗って確か犬の事だよな」。「中国は犬の肉を食べるからその手の店か」と思って見ていると、棒に刺さった長細い塊にケチャップの様なものを塗り、かじっています。

 

 「あれってホットドッグじゃないの」。ホット・ドッグ → ホット・犬 → 熱・犬 → 「熱狗」。なるほどね、そのまんまじゃねーか。あ〜びっくりした(初めて見た時はドキッとしました)。

 

 食べ物の匂いを嗅いでいたら、(お食事中の方スルー願います)ちょっと生理的現象を発現した私はホテルに戻ろうと思ったのですが、間に合いそうにありません。

 

 すると「公共?所(ツォスォ)」(公衆トイレ)と書かれた建物が目に入り、迷わず入ろうとしたら、入口の管理人らしきお婆さんが睨みながら何か言っています。よく見ると5角と書いてあります。

 

 「5角って何・・・」。すると後から来た客が金を渡し、ポケットティッシュの様なものを貰い入って行きました。「金が要るのかよ・・・」。

 

 この当時、外国人には兌換券と言う一般の札とは違う、おもちゃの様な札に交換させられていました。ホテルや外国人専用の店しか使えないと言われてたのです。

 

 ダメ元で持っている一番小さい札(10元)を渡すと、お婆さんしげしげと札を確認し、小汚い札を何枚もくれるのです。「ここは両替屋か」。

 

 兎に角貰った札とポケットティッシュの様なものをジーパンのポケットにねじ込み中へ・・・。

 

 中は薄暗く、和式トイレの金隠しなしの便器がいくつも並んでいます。さっき入って行ったオジサンがあられもない姿で座っています。「個室じゃないのかよ」。

 

 もうそんな事言ってられる場合じゃありません。オジサンから離れた場所であられもない姿をさらして事を為したのですが・・・。ふと顔を上げると「何、何、何」(鈴木ナナか)。

 

 気が急いていたのとオジサンに気を取られていた為前を見てなかったのです。薄暗い事もあって気が付かなかったのです(本当ですよ)。

 

 なんと、私の目の前には低い衝立を隔てて、何人もの女性がしゃがんでおられるではありませんか。思わず「こんにちは」って言いそうになりました(笑)。「って場合か・・・」。

 

 「さっさと退散せねばって紙は・・・」。しゃがんだ状態で焦っている事もあり、ジーパンのポケットから取り出せません。仕方なく立ち上がると女性たちの視線が私の股間へ。

 

 と同時に私の視界にも女性たちの・・・。思わず目を瞑ってしまった純情な白楽雲でした。

 

 札ごとポケットティッシュの様なものを取り出し再度しゃがんだ私は、札を胸ポケットにねじ込み、さっさっと用を足し逃げる様にトイレから出て行きました。

 

 通りに出ると、後ろからさっきのお婆さんが追いかけて来ます。「また金取るの」と思ったら更に小汚い札をくれるのです。もう恥ずかしくて走ってホテルに戻りました。

 

 どうも、10元を1元と勘違いし、5角のおつりをくれたのですが(10角=1元)、間違いに気付き、更に9元のおつりをくれたのです。正直なお婆さんでした。

 

 全部あげても良かったのですが・・・(なんせパニクっていましたので・・・)。

 

 私はどうも女性の前で恥をかく宿命の様で(「尿管結石」参照)、人生初の赤っ恥を書かされました(泣)。

 

 ホテルへ戻り、私だけチェックアウトし、国営企業の面々とこじんまりした店で朝食(御粥が気に入ってしまいました)を取り、国営企業の事務所でミーティングです。

 

 昨晩、上機嫌だった兎に角明るい何さんが正装して笑顔で迎えてくれました。しかし、商談となると何さんは表情が引き締まり、鉄の女(サッチャー)の如く、私達に立ちはだかるのです。

 

 将来、総経理(社長)になる孫さんもたじたじです。この戦いは商社のNさんの戦いで、私はアドバイザー的な立場で、Nさんの後ろから「そうだそうだ」(ガキかお前は)と援護射撃するだけです。

 

 更に時間制限があります。私は広州へのフライトの為、10時には出発です。気楽なもんでした。

 

 しかし、何さんは凛々しくて私は、「そうだそうだ」言いながらも「敵ながら素敵だな」と思ったのです。(惚れたのか)って滅相も無い。亭主に子持ちですよ。

 

 10時に撤収と相成った私ですが、Nさんが王さん(使えない通訳)をつけてくれました。商談には使えそうもないので仕方ないですよね。

 

 途中、早めの昼食を摂る事になったのですが、チャーハンを頼むと油に浮いた様なチャーハンです。味は悪くないのですが、上の方しか食べられませんでした。これではユーハンです。

 

 空港の搭乗手続きの窓口に連れて来られたのですが、まだ始まっていません。先頭で待っているので、すんなりと中へ入れそうです。

 

 もう王さんは必要ではないので、丁重に引き取ってもらいました。やれやれ、これで完全に前半戦の終了です。後半戦の戦い次第で私の運命がかかっています。

 

 「さらば武漢よ・・・」。

 

(つづく)


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