中国との再会!!

ステッパー

ステッパー

皆さんは、ステッパーって知っていますか。半導体製造に欠かせない装置の名前です。お使いのPCはもとより、あらゆる電化製品に組み込まれている集積回路(IC)は御存じですね。

 

 あんな小さなICチップには精密な回路が画かれています。それを可能にしたのがステッパーと言う装置です。人の手で画けるものではありません。

 

 簡単に言うと、回路図に紫外線を当て、内蔵するレンズで縮小露光する事により、ウェハーに焼き付けるのです。それも移動しながら瞬時にです。

 

 ステッパーの御蔭で大量生産が可能となり、半導体の普及が一気に進んだと言えるでしょう。その命と言えるのが内蔵されるレンズです。

 

 レンズに使用するガラスに不純物が多いと紫外線で熱を持ち、レンズがゆがんで正確な回路を画く事が出来ません。その原料には非常に高い純度が要求されるのです。

 

 1990年代、この業界はニコンとキャノンの二大巨塔が君臨し、他を圧倒していました。現在はオランダのASMLが約50%、ニコンとキャノンを合わせても及ばない状況です。

 

 ここにも、日本企業の凋落ぶりが見てとれます。欧米企業の日本潰し規格であるISO9001に安易に乗っかったが為に、日本のものづくりが壊滅したと言って良いと思います。

 

 因みに、トヨタはISO9001を取得していません。私は、トヨタは嫌いなのですが、この点については立派だと思います。ものづくりへのこだわりが窺えますね。他の企業も見習えやボケ・・・。

 

 話がボケてしまいました(お前のせいじゃ、ボケ)。このステッパーのレンズに使用するガラスの原料として、1990年代に使用されていたのが、初めての中国出張で見つけた湖北省の原料なのです。

 

この原料の発見が無かったら、現在のネット社会も無かったかも知れません(ただ行かされて、たまたま連れていかれただけだろ)。飲んで歌った俺の御蔭や(飲んでゲロ吐いたの間違いな)。

 

 これらの経緯を知りたい方(いねぇ〜よ)は「上海上陸作戦」からの一連の記事を参照して下さいね。

 

 急遽原料を取り寄せ、試作品を市場に投入すると好評で、半年足らずでシェア独占の勢いです。何と言っても不純物レベルが半分以下(実質四分の一)である事と、使いやすいとの評判です。

 

 しかし、原料産地は中国です。全てにおいていい加減なのです。原料供給の不安定さと原料の状態の悪さに問題が山積みでした。日本で手間をかければ使えるのですが、その手間がハンパ無いのです。

 

 犬の死体や得体の知れない動物の死体を放り込んでくる有様です。現地港湾作業員の日本に対する嫌がらせですね。嫌われているのです。

 

 そこで、私が行って解決して来いと言う訳です。いつも、陰ながら私を庇ってくれていた営業部長の判断で急遽決まったのです。ついでに、浙江省の原料調査が四匹目のドジョウを狙ったセコイ事業部長の命令で決まりました。

 

 気が重いのですが、日本で毎日虐められているより遙かにましです。だって、大都市以外では電話が通じないと嘘をついても解りゃしません。ガミガミ言う馬鹿野郎はいないのです。

 

 こうして、第二回目の中国出張が急遽決まったのでした。兎に角、日程詰めるのにばたばたで、かなり無理のある出張になりそうです。

 

(つづく)


北京上陸作戦

北京上陸作戦

前回の出張で通訳に問題があった事を反省し、商社の北京事務所から精鋭を借りる事にしました。よって、その御礼と今後の協力の御願いを兼ね、北京から入国する事になりました。

 

 しかし、北京→武漢のフライトが満席で、火車(汽車の事)での移動を余儀なくされた為に、その日の夕方に武漢へ向け出発しなければなりません。乗車時間は1日半、当然車内泊(2泊)となります。

 

 初っ端から過酷な旅となりそうです。

 

 この時点で、商社側の担当がNさんからS課長に替わっていたのですが、有力商権となりそうである事から、K部長が同行する事になったのです。

 

 1990年5月某日の夕刻、名古屋空港から成田へ。国内移動ですが、成田発北京便の接続便(国際線扱)の為、出国手続きを名古屋で行います。

 

 午後7時、成田に到着しホテルへ。北京便は明日の10時です。出国手続き済みですので、9時に搭乗ゲートに行けば良いので、それまではホテルでまったりと過ごせそうです。

 

 成田の町を探索しようと思えば出来ますが、入国及び再出国手続きしなくてはなりませんので面倒です。ホテルでのんびりするのが無難です。

 

 ホテル(ニッコーホテル)が用意してくれた夕食の中から、中華料理を選択。中華料理「桃李」で一人優雅に食事です。やっぱり世界で一番おいしい中華料理は日本の中華料理ですね。

 

 27歳に成ったばかりの私は、世界を股にかけるビジネスマン気取りで食事を楽しんだのです(どこぞの知事さんが勘違いしても仕方ないですね)。

 

北京上陸作戦

 

ホテルの窓から(こんな写真撮ってる段階で、カッペ丸出)

 

 翌朝7時に用意された食事をのんびりと摂り、8時半にチェックアウトしました(但し、航空運賃に含まれている為クーポン券を渡すだけです)。

 

 K部長と無事合流し、北京へ出発です。そう言えばこの頃、機内で喫煙が出来たって知ってますか。今では考えられないですね。

 

 今では韓国上空を飛行し、北京に向かうのですが、この当時それが許されていなかったので、上海上空まで飛行し、そこから北上して北京に向かいます(飛行時間5割増)。

 

 やって参りました。北京です。上海に比べると貧弱な空港です。上海も今と比べると貧弱だったんですけどね。兎に角、北京上陸作戦無事成功。パチパチ(当たり前だ)。

 

 空港には今回同行してくれる通訳の邱さん(キュウちゃんと呼んでました)が出迎えてくれ、その足で、商社の事務所へ表敬訪問です。

 

 そして荷物を事務所に預け、軽い昼食と火車の時間まで「王府井」で買い物と成ったのです。私は買い物は無いのですが、K部長の要望です。

 

 王府とは皇族の屋敷の事です。その井戸があった場所とされ、「王府井」と言われます。故宮に程近い東に位置しています。中国の地方から来た「おのぼりさん」や外国人が好んで訪れる場所です。

 

 日本の高校生が修学旅行に来ており、通りを埋め尽くしています。大騒ぎしたり、通行の邪魔になっています。嘆かわしい限りです。気持ちは痛いほど解りますが・・・。

 

 折角中国に来たのに訳の解らないものを買っていました。何故かハンモック(ここで買わなくても良いだろうに)を持った小柄な男子生徒がつかつかと私の前にやって来ました。

 

 いきなり、「日本人?」って失礼な。「すみません、日本の方ですか」って言えないのかよ。私は何と答えるか迷って黙っていたのです。

 

 「君は日本人?」って言おうとしたら、クルッと方向を変え、仲間のところへ走って行きながら大声で、「日本人じゃないぞ〜」って、何とも失礼千万、「白楽雲が叩き切ってやる、そこに直れ・・・」って言いたい気分。

 

 他の通行客も迷惑そうです。特に白人系の方達はあからさまに嫌な顔してました。今、日本に来る中国人のマナーの悪さが批判されていますが、この当時の日本人のマナーも外国で批判されていたんですよ。

 

 だからと言って、中国人の肩を持つつもりはありません。時と共に変わって行くのを待つしかないでしょう。金を使ってくれる鴨だと思って我慢我慢。

 

 事務所に戻ると朗報が・・・。明日の夕刻の武漢のフライトが取れたとの事。火車(蒸気機関車)に乗れないのはちょっと残念ですが、私は鉄ちゃんではないので楽が一番。

 

 急遽ホテルを確保し(武漢のホテルも)、困ったのは明日の予定です。

 

 考えた末に、敵の中枢、天安門広場及び故宮博物院と、敵の防衛拠点、万里の長城を偵察に行く事にしました(単なる観光じゃねえかよ)。

 

 任務任務。写真撮りまくるぞ!! (観光観光って素直に言えよ)。

 

(つづく)


万里の長城(北の防衛線)

万里の長城

思わぬ幸運で、北京に一泊した上に、午後8時のフライトまで自由時間が出来た私達は、北京観光、いや、敵の重要拠点を偵察する事にしました。

 

 朝起きると、天気が良く、ホテルからは北京の街を良く見渡す事が出来ました。下の写真は26年前(天安門事件の約一年後)の北京です。

 

万里の長城
万里の長城
万里の長城

 

 自動車の通行も少ないし、空気もきれいでした。今では人が暮らせる場所では無いですよね。文化財も傷みやすいよなぁ〜。

 

 ホテルでバイキング形式の朝食をいただき、敵の防衛拠点へ出発です。

 

 K部長は、野村監督とカンニングの竹山君を足して2で割った風貌で、とても貫禄があります。見た目と声が少し怖いのですが、腰が低くて、話が解るお方です。観光、いや、偵察に、私よりはしゃいでいました。

 

 K部長は、中国が初めてで、私も北京は初めてですから、もしかしたら北京事務所のサプライズだったかも知れないと今では思っています(感謝)。

 

 そうこうしているうちに、万里の長城が見えて来ました。

 

万里の長城

写真中央やや右寄りに、薄っすらとその姿を現す「万里の長城」

 

 この当時は「万里の長城」と言えば、この八達嶺長城を指していましたが、近年、ここから東に位置する慕田峪長城が整備され、人気を二分しています。どちらもロープウェイが整備されてます。

 

 北京の北の護りの重要拠点です。残念ながら秦の始皇帝時代の長城ではありません。モンゴル人を追い出した明帝国は、モンゴル人の再侵入に備えて立派な長城を築いたのです。

 

 でも、結局、満州人の侵入を許し、清帝国が興ったのですから意味をなさなかったと言えるでしょう。この建造にどれだけの民の苦痛があった事か。

 

 さぁ、八達嶺の「万里の長城」に到着です。暫し、写真を御覧下さい。

 

万里の長城
万里の長城
万里の長城
万里の長城
万里の長城
万里の長城

 

 山の向こうまで歩いて行けるのですが、いくらなんでも時間に制約があります。まだ、敵の本拠地である紫禁城(故宮博物院)の偵察が残っています。

 

 北京の北には天然の大規模な龍脈があります。この一帯は龍脈の真上にあると言えるでしょう。そして、主に花崗岩で造られたこの辺り一帯の長城は人工の龍脈でもあります。

 

 この当時は全くそんな事には興味を持っておりませんでした。私は小学生の時に風水と一旦決別したのです(「私と楽雲気法」参照)。

 

 十分偵察は出来ましたので、さっさと撤収いたしましょう。さあ、北京へと退却です。

 

 ついでに、甥っ子(姉の子)にパンダの動くおもちゃを買いました。これがなかなか好評でした(中国製ですので直ぐ壊れてしまった様ですけどねニヤリ)。 

 

 本日、父の7回忌に備え、墓の掃除に行って参ります。よって、写真で誤魔化した様な形になりましたが御容赦願います。何、その方が良いって(笑い泣き)。

 

(つづく)


天安門の先には・・・

天安門

万里の長城を後にした私達偵察隊(ただの観光者だろ)は、北京市街に戻ると遅めの昼食を摂りました。前日の夕食を食べた商社の事務所が入っているホテルのレストランです。

 

 申し遅れましたが、前日、北京?鴨(ベイヂィンカオヤ)、いわゆる北京ダックを生まれて初めて食べました。大変美味でありましたよ。他の料理も日本の中華料理と遜色ないお味でした。

 

 流石は首都ですね。でも、飛び切り美味しいとは思いませんでしたけどね。兎に角、明日に備え、栄養補給は肝心です。昼食も北京ダックをいただき、前日の夕食同様、意地汚く食べまくった白楽雲です。

 

 さて、いよいよ敵の本丸である紫禁城に潜入です。紫禁城は明帝国により造られ、清帝国が受け継ぎ、現在は故宮博物院として一般に開放されています(だったら潜入じゃないだろ)。

 

 故宮博物院正門は、北門である神武門なのですが、私達は正々堂々と天安門からの潜入です(どちらからでもいいの)。

 

天安門

天安門

 

 天安門をくぐり、途中にある端門をくぐり、尚も歩くと、やっと「紫禁城」の入口である午門(南門)に到着。兎に角広い。因みに「紫」とは天帝の住居を指し、「禁」は庶民の入城を禁ずると言う意味です。

 

 ここから先は一般庶民の立ち入りが禁じられているのです。そこを決死の覚悟で潜入を果たし先へ進んで行きます(おい、嘘つくんじゃねえ〜)。すみません、入場料払えば誰でも入れます。

 

 午門をくぐり、更に歩くと大和門があり(ここからが外廷)、くぐるとやっと、大和殿が見えます。紫禁城と言えばこのイメージですね(最も大きな建物)。

 

天安門

大和殿から見た大和門

 

天安門

大和殿

 

 大和殿は主に式典を執り行う場所です。その奥に中和殿があり、皇帝の控室と言ったところなのですが広すぎるやろ・・・。

 

 さらに奥に行くと、保和殿があります。ここは皇帝の着替えの場(更衣室)って、「どんだけ広いねん」。

 

(つづく)


紫禁城の隠された秘密

紫禁城

大和殿・中和殿・保和殿までやって来ました。この三殿を総して、前三殿(外朝三殿とも)と言います。保和殿は皇帝の更衣室だと申し上げましたね。

 

 乾隆帝以降は科挙(まぁ、国家公務員試験ってとこかな)の最終試験会場でもあった様ですが、皇帝の見守る前での試験ですから緊張したでしょうね。

 

緊急事態

保和殿の玉座(現在は修復されてもっと綺麗です)

 

 さらに奥に進むと、内廷の入口である乾清門。門と言うより宮殿ですね。それもそのはず、雍正帝以前は政務を執り行う場所だったそうです。

 

 どんどん奥に行くぞ。乾清門の先に乾清宮があります。元々は、ここからが皇帝家族の寝所なのですが、雍正帝以降はここが政務を執り行う場所となりました。

 

緊急事態

乾清宮(皇帝が執務した玉座)

 

 「正大光明」と書かれた扁額が掲げられています。実はこの額には重要な役目がありました。玉座は古代風水の教えの通り、南面しています。

 

 中国歴代皇帝の中で最高と謳われる康熙帝は、孫の乾隆帝(愛新覚羅弘暦)の資質を愛し、皇位を継がせたいと思ったのです。

 

 弘暦の父で、第四皇子(愛新覚羅胤)が雍正帝と成りました。実は私の祖父は私の資質を愛し、父に白楽雲を継がせたのです(嘘つけ、爺さん生まれる前に亡くなってんだろ)。

 

 「いい〜じゃないの〜、ちょっとぐらい」(皆さん嘘ですからね)。皇位継承に際しては、他の皇子や臣民から誹謗中傷を受けました。母親の出自も良くなかったのです。

 

 雍正帝(胤)が康熙帝の遺詔「伝位十四子」を「伝位于四子」に改竄したのだと言われてもいます。でも結果的に、康熙・雍正・乾隆の三代は清帝国の最盛期であったのです。

 

 脆弱な基盤の中、康熙帝の意向を実現すべく、辣腕を振るい、康熙帝の築いた国力を損ねる事無く、息子の乾隆帝(弘暦)に繋げました。

 

 自分の皇位継承に当り誹謗中傷を受けた事もあり、雍正帝は後継者を記した封印された勅書を「正大光明」の扁額の裏に隠し、崩御後に立ち合いのもとに取り出す様に遺言したのです。

 

 これ以降、この様に皇位継承が成され、佞臣などの画策で暗愚な皇帝が出ない様にしたとされています。この為、清帝国は比較的暗君が少なかったと言われてもいます。 

 

 雍正帝はあま人気が無いのですが、非常に勤勉な皇帝で、ほとんど寝ていなかったとも言われています。父の意向を実現し、清帝国の安定に力を注いだ立派な皇帝と言えるでしょう。

 

 話が横道にそれてしまいました(何時もの事だろ)。乾清宮の先にはまだ色々ありますが、端折って(おいおい、いい加減だな)、だって、もう疲れちゃったんよ、どんだけ歩いたか・・・。

 

 坤寧門の先には御花園があります。皇帝家族の庭ですね。ただの庭では無いですが・・・。

 

緊急事態

御花園

 

 御花園を抜け、故宮博物院の正門(神武門)をくぐると、人工の山「景山」があります。今では「景山公園」となっていますが、もう十分です、ツカリマスタ(ろれつが回ってないぞ)。

 

緊急事態

景山公園(人工の山)

 

 景山は古代風水に基づいて築かれました。平野の真ん中で、紫禁城の唯一の弱点が北側なのです。何も遮るものが無く、冬の寒気をまともに受けてしまいます。
 さてと、取り敢えず偵察も終わりました(最後随分手抜きだな、最初の意気込み如何したんだよ)。兎に角疲れたし、この頃はまだ、中国の歴史に興味なかったの(あ、そうですか)。

 

 紫禁城は古代風水研究に欠かせない重要な役割を持っていたのですが、全く気付いていない白楽雲でした(まぁ、未熟者だったと言う事だな)。

 

(つづく)


武漢再侵攻

武漢再侵攻

万里の長城と紫禁城と言う敵の重要拠点の偵察(観光だろ)を終えた私達は、少し早めの夕食を摂り、北京空港へ向かいました。

 

 北京→武漢便は珍しくほぼ定刻通り離陸しました。1・2時間の遅れなど当たり前なのです。飛べば御の字なんですけどね。何か嫌な予感が・・・。

 

 私は既に中国の飛行機に3回搭乗していますが、K部長は初めての経験です。客室内に蠅が飛んでいるのに驚いています。「良くある事ですよ〜」。

 

 「中国ではライフベストの説明しないんですね」、「良く解らないんですけど、内陸から海側に飛ぶ時はやるみたいですが、内陸へ飛ぶ時はやらないみたいです」、「なるほど、ただ落ちるだけって事ですね」。

 

 機内サービスが始まり、「中国でも機内サービスがあるんですねぇ〜」。機内サービスと言っても、紙パックのジュースです(一応ストロー付きです)。

 

 「私は通路側ですから手渡しですが、Kさん窓側ですので投げて寄越しますから気を付けて下さいね」、「え・・・」。他の席の状況を見て納得。

 

 「Kさん、ナイスキャッチ」、「参りましたな〜、中国はマダマダですなあ〜」、「私は初めての時、不意を突かれて落としてしまいましたよ、ハハハ」。

 

 飛行機が着陸態勢に入ると、シートを元の位置に戻せとのアナウンスがあっても、ほとんど誰も戻しません。スッチーが個別に戻していきます。

 

 スッチーが戻しても、また倒す人もいます。スッチーも承知で、また戻しに来るのですが、大きな声で注意していますが、何と言ってるのでしょう。

 

 通訳の邱ちゃんに、「なんて言ってるんですか」と聞くと、「死にたいのかって言ってます」って、中国のスッチー恐っ、でもナイスです。

 

 私達の飛行機は、着陸に向け急降下して行きます。感覚としては着陸寸前に機首を上げて着陸する感じです。普通かなり上空から機首を上げながらゆっくり降りて行きますよね。

 

 中国の操縦士のほとんどが空軍出身なのです。戦闘機の感覚なのでしょう。正直言ってちょっと怖いです。でも、腕は確かなんだそうです。

 

 乗客たちは着陸と同時にシートベルト外して、降りる準備を始めます。スッチーが怒鳴っても、最早聞く耳持ちません。と言うより、乗客の怒号でかき消されてしまうのです。

 

 私達は座席で騒ぎが鎮まるまでおとなしく待っていました。その為降りるのが一番後になってしましましたが、結局バスで一緒になるのです。

 

 逆に、バスから降りる時は真っ先に降りられますので、慌てる必要ないのにね。中国の人は、まったく以て御苦労なこってすね、ハハハ。

 

 こうして、武漢再侵攻を無事に果たした私ですが、またここに来る事になるとは、何とも複雑な心境でした。「でもやっぱり暗いなぁ〜、中国は・・・」。

 

 到着ロビーには、国営企業の担当者の李さんが迎えに来ていました。

 

(つづく)


賄賂大作戦

賄賂大作戦

今回の前半(湖北省)出張の主な目的は原料調査と言うより、入荷原料に対するクレームと損害賠償の要求です。更に、中国側から今後の対応策を引き出す事(こちらが特に重要)です。

 

 しかし、相手は中国人です。常識が通じる相手ではありません。そんな相手との交渉に、「お前何とかして来い」と言われ、送り出されたのです。

 

 さて如何するか考えるまでありません。アレしか無いでしょう。

 

 前回出張の後半戦で、香港のオッサンが使った「賄賂作戦」を真似させてもらいましょう(「Mission: Impossible」及び「企業スパイ」参照)。

 

 とは言っても、金銭を渡す事を会社が認める訳がありません。私のポケットマネーなど論外です。先方への御土産と称してばら撒くしかないでしょう。

 

 土産代として認められているのは2万円(しょぼいでしょ)。私は悪知恵を働かせ、4万円を確保したのです(賄賂と言うにはしょぼ過ぎるだろ)。仕方ないだろ、しょぼい会社なんだから。

 

 そのカラクリは、そもそも土産代の2万円は、洋酒2本と煙草2カートン分の金額なのです。最初に誰かが請求したんでしょう、それが前例となって残ってるんですね。

 

 では、私が替えてしまいましょう。先ず洋酒は3千円程度ので十分(当時の中国人に味など分かりません)。煙草は現地品の方が喜ばれるので、買うのは私が吸う分です。

 

 日本で買えば2カートンで4400円です(当時)が免税店では3000円です。私の懐が1400円潤います。これを吐き出せば、現地で買う煙草代として十分です。洋酒代を引いて、残りの土産枠は14000円と言う事ですね。

 

 そして、田舎での宿泊料の領収書は手書きですので、改竄しても解りっこありません。中国語の簡体字は日本で意味不明ですので、接待費として落とします(すっかり越後屋だな)。

 

 宿泊代は、出張規定で決まっていますので、領収書などいらないのです。前回の出張時に、接待費が少ない事を指摘されていたので、大いに利用させてもらいましょう。2万円程度になる筈です。

 

 次に問題となるのが、誰に何を渡すかです。品質の安定が主ですので、第一が国営企業の担当者である李さん、第二が、契約や価格等に関かわる部長の何さん(女性)です。

 

 第三は何さんの秘書的存在の孫さん、通訳の事も考えなければなりません。また、地元?春県の対外貿易局の幹部達、その他の方達にも帆く渡す必要があります。

 

 李さんにはウォークマン(10000円)、当時の中国ではCDが普及してないのでカセット式です。何さんにはオシャレな日傘と折り畳みの傘(7000円)、孫さんと通訳には名刺入(3500円×2)です。

 

 ?春県の対外貿易局の幹部達には洋酒。主だった全員に渡すカード式のラジオを10個(一個1000円)。さて、賄賂の品は思惑通り効力を発揮してくれるでしょうか。

 

 目の前には、こちらの都合良く、第一のターゲットである李さんがニコニコしながら私達を出迎えに来ています。

 

 賄賂大作戦の開始です。

 

(つづく)


中国人を凋落出来るか

中国人凋落

賄賂として渡す御土産は用意して来ましたが、果たして中国人を凋落する事が出来るのか、もし、彼らの面子を潰せば逆効果ですし、ただ土産を取られるだけかも知れません。

 

 白楽雲一世一代の大勝負です(そんな大層なもんやないやろ、ただ土産配るだけやん)。

 

 出迎えの国営企業の担当者である李さんと固い握手をし、李さんの用意したワゴン車に乗り込みました。「この車は公司(会社)の物ですか」、「いえ、タクシーです」、と言う事は、公司の人間は彼だけです(しめしめ)。

 

 私は李さんへの土産を取り出し、「李先生に御土産を持って来ました、どうぞ」。李さん袋の中を見てびっくりしています。「今回、私が来た目的は品質改善です、貴方と貴方の公司の協力が不可欠です」、「・・・」。

 

 「私達の事業が上手く行くかどうかの瀬戸際です、上手く行けば私はまたここへ来る事が出来るでしょう、その時はカメラをプレゼントしますよ、だって、鉱山や荷物の状況を写真に収めて送って欲しいからです」。

 

 「解りました、一緒に努力しましょう、私達もこの仕事に期待しているんです、何でも言って下さい」。よっしゃ〜、イッチョあがり〜。「ありがとう、頼みましたよ、やっぱり貴方は頼りになるわ〜」(心にもない事を・・・)。

 

 李さんは御土産をカバンの中に無理やり押し込みました。「ははぁ〜ん、ホテルで誰か待ってるな、誰だろう、まぁいいや行けば解るから」。

 

 ホテル(長江大酒店)に着くと、何さん、孫さん、通訳が待っていました(こりゃまた都合がいいや)。明日の簡単な打ち合わせをする為、Kさんの部屋へ。

 

 Kさんが銘柄は忘れましたが洋酒(高いやつね)と御菓子を御土産として渡しました。そして私の出番です。何さんに日傘と折り畳み傘を、孫さんと中国側通訳に名刺入を渡しました。

 

 何さんは、両方の傘を開いて「好看、好看(素敵、素敵)」と言いながら交互に差しながら燥いでいます。それに「漂亮、漂亮(美しい、美しい)」と言いながら合の手を入れる孫さん。

 

 流石、13年後、総経理(社長)になる男は違いますね。それに引き換え後れを取って、ただ笑っている李さん。アンタは出世出来そうにないね。孫さんを見習いなよ・・・(お前もな)。

 

 もう一人、孫さんと同じ匂いのする人間が・・・。商社の北京事務所から同行している日本側の通訳の邱ちゃんは、自慢の一眼レフで、グラビア撮影の様にパシャパシャ撮っています。

 

 「邱ちゃん、お前もか」、アンタきっと偉く成るよ・・・。

 

 この当時、中国の女性はオシャレに無頓着で、御化粧すらしていませんでした。国情がそうさせたのでしょう。その証拠に何さん御年46歳(かぞえですから満45歳)の燥ぎ様ったら・・・。

 

 さて、ダメ押です。副賞のカード式ラジオを李さんに渡しながら、「今回の出張の成果に事業の存続がかかっています、私がまたここに来られる様に協力して下さい、それまで貴方の御土産は保留です」。

 

 「OK、OK、出来る限り協力しますよ」。解ってるじゃん、アンタ演技はそこそこ旨いのね・・・。

 

 他の3人にも副賞を贈呈すると、何さんが李さんに歩み寄り、肩を叩きながら慰めています。あれだけ燥いだ手前、部下への配慮でしょう。何らかの譲歩を引き出せるかも・・・。

 

 明日朝8時に?春県へ向け出発する事を確認し、国営企業の面々は部屋を後にしました。

 

 部屋の外まで見送ると、邱ちゃんが「ロビーまで送って来ます」、「あ、ありがとう、頼んだよ、後ゆっくり休んで、私達はもう休むから」とKさん。

 

 私が部屋に帰ろうとすると、Kさんが「もう寝ますか」、「何もする事ないですからね」、「もし良かったら、ちょっと飲みませんか」、「良いですね、じゃあ、酒のツマミ取って来ますよ」。

 

 こうして、Kさんが購入したもう1本の洋酒(高いやつね)を飲みながら、今後の作戦会議と相成りました。邱ちゃん抜きでね、だって彼は中国人ですから、そりゃあ、聞かれたくない話もありますよ・・・。

 

(つづく)


夜の作戦会議(弾比べ)

弾比べ

女性の方には一部お見苦しい内容を含んでおりますが、酒飲みの戯言だと思って御許し下さい。気付かない方は深く考えないでね。

 

 さて、部屋に酒のツマミを取りに行き、Kさんの部屋に戻ると、既にグラスに酒が注いであります。「氷が無いのでミネラルウォーターで割っときましたよ」、「その方が有難いです」。

 

 「中国の氷は気を付けた方が良いですよ、どんな水で造ったか解りませんからね、お腹壊したら大変です」、「「氷がですか」、「沸かした水を凍らせると思いますか、氷欲しがるのは外国人だけなのに」。

 

 「機内で食べた残りですけどツマミにはなるでしょう」、「十分十分、何時も持って来るんですか」、「前回の出張で機内で酒飲むのにツマミが足りないと思って、呑兵衛の悪知恵ですね」。

 

 「いや、非常食にもなるし、こりゃいいや、今度私も真似しますよ、でも帰りの分が無くなっちゃいますよ」、「大丈夫です、まだまだありますから、私には後半戦もありますからね」。

 

 「ところで、邱ちゃん如何思いますか」、「日本語は完璧だし、気も利くし、上等だと思いますよ、申し訳ありませんが、前回の通訳はひど過ぎました」。

 

 「らしいですね。N(商社の前担当者)から聞いて、北京で借りる事にしたんですが、今一信用出来ないんですよ」。流石部長ともなると人を見る目が確かですね。Kさんも何か感じるのでしょう。

 

 「他所の会社の社員について、とやかく言える身分ではないのですが、先程居た孫さんと同じ匂いがしますね、八方美人ってとこでしょうか」。

 

 「でしょ、重要な事は話さない様にして下さいね」、「中国人の忠誠心なんて上辺だけですからね、こちらの手の内を明かすとは思いませんけど、気を付けましょう、中国に関しての悪口も慎みますね」。

 

 「明日からの調査の重点課題なんですが」、「鉱山調査は前回重点的にやってますので、@生産方式の改善、A選別作業の徹底、B国営企業との問題意識の共有ってとこですね」。

 

 「損害賠償については如何しましょうか、彼らは応じないと思いますよ」、「でしょうね、私個人としては、@ABが上手く機能すれば、損害賠償など引っ込めても良いと思っています」。

 

 「Kさんも、お解かりだと思いますが、裏保険で保険求償済みですからね」。「でも御社は損害賠償に固執してるじゃないですか」、「だって、も〜いいよ〜、なんて言ったら彼らは反省しないでしょう」。

 

 「二度も酷い状態で出荷して来てるんですから、このままでは今後も改善はしないと思いますよ、品質面の安定と両天秤掛けさせて、どっちが得か解ってくれると良いのですが」。

 

 「でも難しそうですね」、「だから、こちらからも積極的に提案し、彼等にもやる気を持ってもらいたいんです、その為の御土産攻勢ですから、それにしてはショボイですけどね、私が出来る上限です」。

 

 「でも喜んでましたね、何さん」、「正直あれは意外でしたね、でも李さんは落ちたでしょうが、何さんは仕事となると態度がガラッと変わりますし、孫さんは切れ者ですからね、油断出来ませんよ」。

 

 「Nから聞いていますよ、かなりきついらしいですね、中国版鉄の女とか」、「取り敢えず、トモダチ作戦は成功ってとこですけど、言う事聞かせるにはもっとデカい弾が要りますね」。

 

 「次回以降の御土産はうちに任せて下さい、失礼ですけど私の権限なら、もっとデカい弾用意出来るでしょう、下の弾は敵いませんけどね」。

 

 「何を仰るウサギさん、Kさんには敵いませんよ」、「ならば弾比べしてみますか」、「それはよし子さん、こんなとこ人に見られたら誤解されますよ」。

 

 「まぁ、弾比べは引き分けとしましょうか、ところで、李さんのカメラは決まりとして、他は何が喜ばれるでしょうかね」。

 

 「カメラは誰でも欲しがるでしょうね、時計、カバン、意外なところで万年筆、中国では正式文書はボールペン不可ですから、偉くなればなるほど喜ばれます、孫さん辺りに効くかも」。

 

 「北京事務所にも相談してみましょう」、「それが良いですね、あ、そうだ、こういう時に邱ちゃんが使えますよ、彼なら中国人のエリートが欲しがるものに詳しいでしょう、あのカメラ高そうですしね」。

 

 「そうそう、あのエリート意識が鼻に付くんだよね、悪い奴ではなさそうだけど、ところで私は鉱山の事は全く解らないのでよろしくお願いします」、「そうだ、前回の調査報告書のコピー御見せしますよ」。

 

 「それは助かります、見ても解るか自信ないですが・・・」、「大したこと書いてないので恥ずかしいですが、参考になればうれしいです」、「足を引っ張らない様に頑張りますよ」。

 

 「いえいえ、肝心なのは最後のミーティングですよ、Kさんの押しの強さに期待してます」、「ちょっと気が重いですな、鉄の女との格闘は・・・」。

 

 「大丈夫ですよ、相手は弾無しですから、Kさんの立派な弾で撃ち負かしてくださいな、私も背中の陰から援護射撃しますからね、ただ不発弾かも知れませんので悪しからず・・・」。

 

 「じゃ、それまでは気楽な旅を堪能させて貰いましょう」、「そうして下さい」、「ではそろそろ休みますか」、「弾の手入れをお忘れなく・・・」。『ハハハ』。

 

(つづく)


物見遊山?

物見遊山

翌朝8時に国営企業の面々(何さん、孫さん、通訳、李さんの4名)が迎えに来ました。前回の出張では何さんは来なかったのですが・・・。また、通訳が変わっています(かなり若い)。

 

 「何さんも行かれるのですか」。「私は?春に行った事が無いのです」と言っていますが、女性にはいささかキツイ調査です。物見遊山と言う訳ではないでしょう。早速、御土産の効果が利いたのでしょうか。

 

 新しい通訳は去年入社したばかりの新人ですが、日本語は上手いですし、結構イケメンです(嵐の二宮君似)」。何さんのお気に入りかなニヤリ。

 

 10年後、彼は経理(課長)になってました。李さん(先輩)は平のままなのに(お前もな)。でも、日本語は片言になってましたね。何故だろう(私の中国語と同等かそれ以下か)。

 

 車は公司のワゴン車で、運転手も公司お抱えです。この当時、運転手は技能職で、結構待遇が良いのです(稀少だったのでしょう)。その為、機嫌を損ねると言う事を聞かなくなるのです(エリカ様か)。

 

 運転手と新通訳にカード式ラジオをプレゼントして機嫌を取り、?春に向け出発です。行程は前回とほぼ同じですので省略します。知りたい方は「長江沿いの攻防」を参照してね。

 

 武漢市を出ると道路はかなりの悪路です。悪路対策として首にはめるクッション(空気入れる奴)を用意しました(10人分)。これを全員に配りました(もちろんポケットマネーです)。

 

 さてと、午後3時過ぎに?春県に到着しました。あっと言う間の様ですが、ここまで7時間を要しています。結構しんどいですよ。

 

 まずは?春県対外貿易局に表敬訪問です。国営企業の面々が挨拶をしています。県長は前回副県長だった人で、副県長は新任の様です。担当者は前回と同じです。県長の娘婿だそうです(縁故って奴か)。

 

 孫さんが副県長と名刺交換していますが、御土産の名刺入をこれ見よがしにひけらかしながら渡しています。何だぁ〜、リアクション薄かったけど気に入ってくれたのね(良かった)。

 

 私達も、挨拶し、御土産の洋酒2本。安い方の奴ですが喜んでいます。そして、彼らが好んで吸う煙草「阿詩瑪」を3カートンを渡し、それぞれにカード式ラジオをプレゼント。

 

 すると、Kさん「今回急な訪問で大した御土産が用意出来ませんでしたが、次回訪問時はもっと良い物用意しますよ」、「好、好、好(良いですよ)」。

 

 「でも、その為には生産面と品質面、特に選別の強化が必要です、皆さんの協力を期待します」って言うじゃなぁ〜い。昨夜の作戦会議は有効でしたね。ナイスです。

 

 連中、ヒソヒソ話し出し、県長さんが「今、?州港で選別作業してますが、早速見に行きますか」だってさ。前回は宴会の事ばかり気にしてたのに・・・。これも、御土産効果って奴ですかね。

 

 欲に眼がくらんだのかな・・・。今では通用しないでしょうけどね。と言う事で、急遽、?州港を視察する事に・・・。

 

(つづく)


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