中国との再会!!

コンプライアンス(法令順守)

コンプライアンス

(「決戦前夜」からの続き) 

 

 朝8時、ホテルで朝食後、国営企業のオフィースへ乗り込みました。前回同様に勝負服のスーツに身を包んだ何さんが愛想良く出迎えてくれました。

 

 しかし、いざミーティングが始まると、それまで纏っていた温かいオレンジ色のオーラが消え、冷たいブルーのオーラを纏っています(お前本当にオーラを見たんかい)。多分出てたかと・・・。

 

 こちらからの改善要求は、
 @生産体制の拡充(発破による採掘)、
 A選別の強化(水洗設備の導入は必須)、
 Bショートウエイトの改善(毎回平均5%の数量不足起こしている)、
 の3点を早急に実現する事。

 

 それに対しての見返りとして、
 A.改善がなされれば賠償金の請求を撤回しても良い事、
 B.選別強化で新たに派生するスモール品の購入を検討する(但し、現行価格の7割が上限)。

 

 そして、水洗設備の図面(3方式)とア〇ホ爆薬の作り方を参考までに提示。

 

 見返りABについては本来、部長決済がいりますが、無理やり事後承諾させれば良い事です。既に損害は裏保険で回収済みなのですから。しかし、がめつい会社は賠償金を請求しているのです。

 

 一般に輸入荷物は保険付きで買うのが普通です。しかし、中国の保険は、事が起っても支払ってくれる事はまずないのです。国家が強制的にかけさせるのですね。保険金は品代に含まれています。

 

 外貨獲得の姑息な手段です。だから裏保険を掛けるのです。困った事にほぼ毎回トラブルが起こりますので、保険会社もたまりませんよね。何処で帳尻を合わせるのでしょう。一般向けの保険掛金ですよね。

 

 一般的に海運会社は大手損保の代理店をしています。輸入業者とグルになれば保険金詐欺などお手の物です。その結果、一般人の保険掛金が跳ね上がると言う寸法です。何処の会社もやってましたよ(やらなきゃ損)。

 

 例えば、ある商品が一部水濡れしていたとします。雨水かも知れないし海水かも知れませんね、海水ならばアウト、雨水ならば乾燥すれば救済されるとします。分析すれば解るのですが・・・。

 

 何事も無ければそれが一番なんですが、僅かでも、水濡れしていたら、乾燥する手間がかかりますよね。どうせ手間がかかるのならば全損にして、保険求償した方が得なのです。

 

 その為には、海水を汲んで来て商品にかけるのです。その後写真を撮り、分析して海水がかかった事にすれば、保証される訳です。海水がかかった商品は安価で別用途として処分した事にします。

 

 実際は、海水がかかった部分は固まりますので、網で塊を除去すれば正規品として通用するんですね。塊だけを別用途で処分すればぼろ儲けです。私は何度も見ましたよ。

 

 私も一度だけ恩恵を受けました。白状します。私は湖北省の石英をオーダーしたのですが、裏保険の知識が無く、中国の保険付きで購入しているので、良いと思ったのです。

 

 荷物が港に入り、海運会社から「荷が崩れて他の荷物が混入してしまった様です」と連絡を貰いました。直ぐ視に行けと営業部長に言われたのですが、「お前登録してあるのか」、「何の話ですか」。

 

 外国船の中に勝手に入れないのです。例えば中国船であれば船内は中国なのです。パスポートはいりませんが、登録してある者しか入れません。

 

 そこで、私の名前を登録してくれたのですが、裏保険をかけていない事が発覚しました。すると、「今からでもかけられるよな、この仮は今度払うからさぁ」とあっさり、事後保険がかかりました。

 

 カラクリは客から受け取った保険書類の提出が遅れたと言う事で済んでしまうんです。毎回使える手ではありませんけどね。古き良き時代でしたね(何言ってんだよ犯罪じゃね〜か)。

 

 流石に、今は少ないでしょうね。コンプライアンスの時代ですからね。でもね、コンプライアンスって、経営者が身を護る姑息な手なんですよ。

 

 法令違反が解っていても「法令順守しろよ」と言えば、「私は法令順守しろと言いました、社員が勝手に違反したんです」と言えますからね。

 

 ある意味、昔の経営者の方が腹を括っていた様な気がします。現代では下に行くほど辛い想いをするんですね。サラリーマンは大変ですよ。

 

 いかんいかん、話が横にそれてしまいました。どうもすみません。

 

 次回、国営企業の鉄の女、何部長の返答は如何に・・・(皆さんすみません、次回こそ決着させますので、お許しください)。

 

 

 

(つづく)


長江の雄大な流れ

長江

 さてさて、国営企業の何さんの御返事は・・・。

 

 なんと、全て受け入れると言う拍子抜けするものでした。

 

 @発破は前向きに検討、出来なければ人海戦術で迷惑かけない様にする。
 A選別要員を増やし、水洗設備は3か月以内に導入する。
 Bショートの問題は、次回以降積み増しで対応。
 と言う内容です。

 

 あとは私の上司の営業部長に「うん」と言って貰うだけです。

 

 結局冒頭の30分でけりがつきました。やっぱりお土産の効果ですかね。怖いほど上手く行きましたよ。後はKさんの案件です。私はKさんの肩越しに「そうだ、そうだ」と役に立たない援護射撃を時々入れるだけ。

 

 昼食後に、晴川飯店にチェックインしてミーティングの舞台はKさんの部屋に移動です。私には聞かれたくない話をすると言う事で、私は席を外し、自室で待機。何とも退屈な時間です。

 

 仕方が無いので、この隙に会社に電話し、営業部長の了解を貰いましょう。営業部長に?がりました。「今何処だ」、「武漢に戻り、ミーティングの最中です」、「どんな塩梅だ」。そら来た。

 

 「こちらの要求は賠償請求以外、全て呑みました、水洗設備は半年以内に整備、ショートの問題も積み増しで対応するそうです」、「そうか」、「水洗設備で派生するスモールを現行価格の7割で出すと言っています」。

 

 「スモールは使えるのか」、「.想定品の試験は良好でした、これで賠償額は吸収出来る筈です」、「賠償に関しては如何言ってる」、「日本側の要求は出来る限り呑むので、取り下げて欲しいと言っています」。

 

 「・・・」、「如何しましょう」、「お前は如何したいんだ」、「彼らの約束が履行された段階で賠償請求を取り下げる事で手を打つのが得策かと・・・」。

 

 やや間があり、「そうだわな〜、解った、但し水洗設備の整備の確認が前提だと釘差しとけよ、設備が完成したら視に行って貰うからな」、「解りました」、「明日は上海か」、「はい」、「気をつけてな」、「ありがとうございます」。

 

 やった〜、前半の仕事終了。半年後の出張も決まり。

 

古代,風水,中国,思い出

 

 部長は「うん」と言いましたからね。これで私の一存で決めた事実は消え、営業部長の判断の基に決定された事になります(何か詐欺の様だな)。いやいや、臨機応変と言う奴でしょ。

 

 いちいち、お上の意向聞いてたら纏まるものも纏まりませんよ。だって、お上はこの場に居ないんですから、状況判断出来ませんからね。そして、国営企業に対しては、私が決定を下した形になった訳です。

 

 でも、私は嘘をついています。水洗設備は3ヶ月を6ヵ月と言い換え、賠償請求取り下げの件は私の提案でございました。

 

 中国人は時間を守りませんからサバを読んでおきました。また、私が提案したなんて言ったら叱られるでしょ。でも、そうでも言わないと先に進めないのも事実ですから・・・。

 

 さて、全くやる事が無くなった白楽雲。外に出かけたいところですが、何時Kさんから声がかかるか解りませんので、部屋でのんびりする事に決めました。こんなにのんびりするのは、久しぶりぶりブロッコリー。

 

 暇なので、窓から見える景色を写真に撮りましたよ。

 


 右に見えるのが武漢長江大橋(上が車両、下が鉄道)

 

 因みに真ん中やや左に小さく黄鶴楼が霞んで見えます。この頃既に武漢では大気汚染が進んでいたのです。現在の北京ほどでは無いですが。

 

 右が上流方向です。上流へ遡る事100q弱で、周瑜率いる孫権・劉備連合軍が100万の大軍を擁す曹操軍を火責めで追い散らした赤壁の古戦場があります。

 

 長江は氾濫を繰り返し、江の経路も随分変わっていますので、そこが本当に赤壁の故地かどうかは疑わしいですが・・・。

 

 この辺りは長江の江幅が少し狭くなっています。その為武漢長江大橋が架けられたのでしょう。対岸まではおよそ1q強あります。

 


 長江下流側

 

 長江の雄大な流れを下って行けば上海です。明日は空路上海に向かいますが、長江を下って行ってみたいですね。 

 

 このホテルの眺めは良いのですが(窓も広いし)、景色としてはちょっと「う〜ん、マンダム」ってとこですね。このホテルは国営です。その為、やはり野暮ったい雰囲気が従業員や館内に漂っています。

 

 あ〜あ、長江大酒店の熊小姐にはもう逢えないのかなぁ〜(まだ言ってんのかよ、いい加減諦めなさい)。 

 

 

 

(つづく)


中国政府のやり方(卑怯だろ〜)

中国政府

 午後5時過ぎ、結局Kさんからの呼び出しは無いまま本日のミーティングは終了しました。Kさん予定変更して続きは明日に持ち越しとの事。私は明日予定通り午前中の便で上海ですから参加しません。

 

 ちょっと早いですが、午後6時に日本側主催の宴会(今回のアテンドに対するお礼)を昨日と同じレストランで行う事にしました。と言っても全て中国側にお任せです。金を日本側が払うだけです。

 

 邱ちゃんと何さんに孫さんまで加わり、歌ったり、踊ったりの楽しい宴会でした。邱・孫による何の取り合いと言った様相です。私とKさんは料理を頬張りながら手を叩いたり、掛け声掛けたり。

 

 李さんは加わる事なく、ただただ笑いながら手を叩いているだけです(アンタ、やっぱり偉く成れないわ、残念)。

 

 最後に私はひとりひとり御礼を言い握手しましたが、何さんにはハグされてしまいました。中国人女性との初めてのハグです(ただの挨拶だよ)。いや考えて見れば人生初のハグかも・・・(どんだけ奥手なんや)。

 

 でもチークダンスなら何度もあるよなぁ〜、あれはハグには当たらないのかなぁ〜(そんな事如何でもいいわ、さっさと話進めなさい)。

 

 ホテルに戻り、邱ちゃんと別れた後、定番の夜の飲み会かと思いきや、「散歩でもしませんか」、「良いですけど、何もなさそうですよ」、「入口で見た自転車タクシーに乗りませんか」、「そうしましょう」と、急遽ホテルの入口へ。

 

 5・6台の自転車タクシーが並んでいます。外国人とみて、運転手たちが集まり、客引きです。すると、Kさんが「あれにしましょう」。観ると、端の方に女性の自転車タクシーが停まっています。

 

 まだうら若き女性は客引きには参加せず、恥ずかしそうに立っています。この当時中国女性は御化粧しないので歳が良く解らないのですが私と同世代(私27歳))位でしょうか。

 

 10元と書かれています。前回1989年12月のレートは、1元=36円でしたが、今回の出張中(1990年5月)にレートが変わり、1元=30円になっています。つまり、300円と言う事になりますね。

 

 実は長江大酒店の初日と昨晩の宿泊料金は同じですので、日本円に換算すると安く成った事になります。 なのに支払った金額は昨晩の方が多いのです。変でしょ。レシートを見ると、TAX の金額が増えてます。

 

 旅行者が為替変動で得した金額をTAXとして取り上げるのです。これが中国政府のやり方(卑怯だろ〜)です。市場経済を全く無視しているのですね。外貨獲得に必死だったと言う事でしょう。

 

 どちらにしても、実費を貰えるのですから会社が損しただけですけど。何か腑に落ちない白楽雲です。今でも変な事ありますよね、きっと。

 

 しかし、自転車タクシーにはそんなカラクリは無いでしょうから、更にお得になったと言う事でしょう。乗らない手はありませんね。

 

 「安いですね」、「乗りましょうか」。Kさんも目ざといですね。むさ苦しい男の運転手よりうら若き女性の運転手の方が良いですものね・・・。

 

 

 

(つづく)


汗に濡れた白いブラウス

白いブラウス

 下り坂を快調に走る自転車タクシー。風が心地良く頬を撫でてくれます。丘を下り終えると、武漢長江大橋に向けて、のんびりと走って行きます。

 

 橋の真ん中で止まりました。「橋からの眺めを観てください」と言う事か。長江を渡る風に当りながら、「立派な橋ですね、中国も大したものですな」、「これ、ソ連が造ったんですよ」、「そうですか、通りで・・・」。

 

 二人ともカメラを忘れた事を後悔しながら、「戻りましょうか」、「そうしましょう」と「HOTEL、HOTEL」、「飯店、飯店」と運転手に言うと解った様で、自転車タクシーを反転させ、来た道を戻り始めました。

 

 皆さん想像してみて下さい。大の男2人。Kさんは身長約160p、体重は推定80s、私は身長175p、体重○○s、合わせて約160s(「でぶでぶの実」の効果だな、80sか)。え、何で解ったの(アホか)。

 

 客車を合わせれば200sは軽く超えているでしょう。そんな荷物をうら若き女性が曳いているのですよ。流石に運転手さん汗をかいて来ました。5月です。汗に濡れた白いブラウスが嫌でも眼に入って来ますびっくり。

 

 目のやり場が無いとはこの事ですねキョロキョロ。でも、彼女はまったく気にしていません。ホテルへの上り坂に差し掛かりました。必死でペダルを漕いでいます。そして、立ち漕ぎを始めましたよ。

 

 彼女がペダルを漕ぐ度に、スカートがふわふわっと・・・びっくり。こりゃ〜、も〜たまりませんなラブ。

 

 Kさんが「これは拙いですな」、「そうですねニヤリ」、「降りましょうか」、「えびっくり、あ、そうしましょうかえー」(お前何考えてたんだムキー)。「対不起(すみません)ショボーン」。その声で自転車タクシーが停まりました。

 

 彼女はちょっと不服そうです。勢いをつけてここまで上がって来たのに、再出発はシンドイですからね。私達は降りて後ろに回り、荷台を押してあげました。すると彼女が「対不起、対不起」と恥ずかしそうに漕いでいます。

 

 ホテルに到着。Kさんが100兌換券を差し出すと彼女は困った表情です。「兌換券ではダメなんですかね、○○さん、人民元有りますか」、「1・2元ならありますけど10元は無いですよ」、「困りましたね」。

 

 と言ってると彼女は仲間の運転手に何か頼んでいます。「お釣りが無いのかな、10兌換券ならありますよ」。「小姐」と呼ぶと彼女が戻って来ました。

 

 10兌換券を渡そうとしたら、Kさんがそれを遮り、「行きましょう」と手を振りながらホテルの中へ。運転手さん何度も頭を下げながら「謝謝、謝謝」。

 

 Kさんカッコイイおねがい。紳士であり気前も良いのね。「惚れてしまうやろ〜ラブ」(お前とは月と鼈だな)。だって、私は若かったし、給料安かったんよ。

 

 でも見習わなくては・・・。私なんてスケベ心丸出しで、ケチな野郎ですわ。

 

 部屋に戻る途中、「酒あと1杯分しかないけど呑みますか」、「大丈夫です、まだありますよ、免税店でサンプル(小瓶)を2本貰いましたから、持って行きますよ」、「それは助かりますなぁ」。

 

 「Kさんは紳士ですね、私はスカートふわふわが気になっちゃって・・・」、「何を仰いますか、私だって気になりますよ、男ですから、でもね、娘を持つと観てられなくなるんですね、これが娘だったらと・・・」。

 

 今の私にはその気持ちが解ります。娘を持つと女性に対する考え方が変わります。極端な事を言うと単なる性の対象から見守るべき対象へ変化するんです。決して性的欲望が無くなった訳ではありませんよ。

 

 でも男女平等な世の中で、この考え方が正しいかは別ですけど・・・。

 

 女性を特別扱いすると言う事ですよね。ある意味男と差別しているとも言えます。能力のある女性からは「馬鹿にしないでよ」と言われてしまうかも知れません。如何あるべきなんでしょうか。

 

 この時点で、そんな難しい事全く考えていない白楽雲は、ベッドの中で悶々とした一夜を過ごしたのでした(未熟者めムキー) 

 

 

 

(つづく)


日本鬼子(嫌われる日本人)

日本鬼子

 ここは、中国湖北省武漢大学の教授室。一人の女子学生が担当教授に呼ばれて、神妙な面持ちです。

 

 「君、授業料滞納してるんだって」、「すみません、父が大病を患い、支払えないんです、アルバイトはしてるんですが、生活費稼ぐので精一杯で・・・」、「このままだと退学になってしまうよ」。

 

 彼女は大学4年生、来月には卒業を控えています。就職も決まっているのですが、このままでは就職も取り消しとなってしまいます。

 

 「女性のアルバイトでは大して稼げないよね、君は自転車に乗れますか」、「はい、乗れます」、「これはちょっとキツイ仕事ですが、やってみますか」、「どんな仕事ですか」、「実は先生も時々やってるんだ」。

 

 この当時(1990年前後)、改革開放政策の弊害で、公務員の副業が公然と行われていた時代です。大学の教授も例外ではありません。

 

 「晴川飯店から黄鶴楼まで自転車タクシーで観光客を運ぶんだ、黄鶴楼まで片道10元、往復で20元稼げます、でも距離が往復3qもあるし、人を乗せて走るんだから、女性の君には無理かも知れない」。

 

 彼女の滞納額は50元。3回往復すれば、生活費を含めて卒業まで凌げそうです。卒業さえすれば就職先で給料が貰えるのです。とても魅力的なアルバイトです。

 

 「先生、やります、やらせてください」、「それならば、ここへ行きなさい、1日2元払えば自転車タクシーを借りられるよ」、「2元いるんですか」、「そりゃただでは貸してくれないよ、お金が無いのかい」。

 

 彼女は下を向いてしまいました。「これを持って行きなさい」、「え、良いんですか」、「私だって君には卒業して欲しいんだ」、「ありがとうございます、必ずお返します」、「頼むよ、私のヘソクリなんだから」。

 

 午後6時、こうして、商売道具を手に入れ、晴川飯店にやって来ましたが、この坂道を上るのが大変そうです。ホテルの前には既に10台程の同業者が客を待っています。彼女はその端に停車させました。

 

 すると、同業者のオッサン達に、「お嬢ちゃん自転車漕げるんか」、「そんな恰好で何しに来たんだ」、「俺たちの邪魔すんなよ、遊びじゃないんだ」と酷い事を言われ、既に委縮してしまっています。

 

 オッサン達はホテルから宿泊客が出て来ると我先にと客引きを始めます。自転車タクシーに乗るのは10組中1・2組程度で、ほとんどが普通のタクシーに乗ってしまいます。

 

 「ムリムリ、私あんな事出来ない、如何しよう」。客を乗せて走るだけと思いきや、オッサン達と客の取り合いをしなければならないとは思いもしませんでした。「これじゃ〜、先生にもお金返せないよ」。

 

 意を決してオッサン達に混ざって客引きしようとしましたが、「女はすっこんでろ」と恫喝され、立ち尽くすしかありません。時間が経てば経つ程オッサン達は気が立って来ています。

 

 午後8時を過ぎました。残っているのは彼女を含め6台。もう出て来る宿泊客はほとんどいません。諦めて帰ろうかなと思っていた時です。二人連れの宿泊客が出て来ました。

 

 オッサン達は一斉に群がりますが、客は鬱陶しそうに、オッサン達を避け、彼女の方にやって来ます。最早彼女は、「嫌がってんだからよしゃ〜いいのに」と他人事の様に考えていました。

 

 すると、2人組は彼女の前で立ち止まり、「#$%&#$%&」と何か言っていますがさっぱり解りません。若い方が客車を指さし「可以?(いいですか)」とへたくそな中国語で言っています。

 

 「え、乗ってくれるの、・・・」、「好?(いいですか)」と言い直す客に思わず、「可以(いいですよ)」と言ってしまいました」。言った後、「大丈夫かしら、2人とも結構デカいんだけど、重そうだわ・・・」。

 

 彼女は、「この人達、私達と同じ様な顔してるけど、何処の人なのかしら、まさか日本人だったら厭だな」と想い、「?們是日本人?(貴方達は日本人ですか)」と聞くと、若い方が「我們是日本人(私達は日本人です)」。

 

 「え〜、日本人って酷い事する鬼みたいな人達だって聞いてるけど、私何かされたら如何しよう、夜だし・・・、兎に角、何かされそうになったらすぐに逃げなきゃ」。そう思いながら自転車を漕ぎ始めました。

 

 オッサン達が「人の客取りやがって」と怒っています。「私が望んだんじゃないもん、私だって嫌だよ、日本人なんて」と言う言葉を飲み込み、ロータリーを廻って坂道を降りて行きました。

 

 下り坂を快調に走る自転車タクシー。風が心地良く頬を撫でてくれます。しかし、後ろには日本鬼子(日本人に対する蔑称)。

 

 最早、彼女には心地よいどころか、背中に悪寒が走るのでした。

 

 

 

(つづく)


日本鬼子改め日本貴子

日本貴子

 思いもよらず、選りに選って日本鬼子(日本人に対する蔑称)を乗せる羽目になってしまった憐れな彼女。「何でこんな事になるの・・・」。

 

 この時間、黄鶴楼は入れませんが、黄鶴楼まで乗せて、10元貰ったら、置き去りにして帰ろうと思いました。タクシーでも拾って帰れるでしょう。

 

 「こんな仕事は私には無理」。10元貰えば8元の稼ぎです。それで良いと思いました。「また別の仕事を考えよう」。

 

 下り坂が終わり、平たんな道を黄鶴楼に向け必死で漕いで行きます。一見平坦に見えますが、武漢長江大橋に向かって僅かな登りになっています。

 

 「重い、御願いだから前に進んで・・・」。しかし、彼女の思いとは裏腹に自転車タクシーはのんびりと進んでいくのでした。

 

 武漢長江大橋を5分の2ほど来たところで、もう限界です。息は切れ、足も動かなくなって来ました。「はぁ〜、はぁ〜、もうダメ」。とうとう自転車タクシーは動きを止めてしまいました。

 

 「お客さんに怒られる、何かされても逃げられないよ、如何しよう」。すると二人の日本人は客車から降り、橋の欄干の方へと彼女から遠ざかって行きます。取り敢えず一安心です。

 

 この隙に、吹き出す汗をハンカチで拭い、息を整えるのに必死でした。客の日本人二人はニコニコしながら長江を渡る風を気持ちよさそうに受け、辺りを見回し何か話をしています。

 

 暫くするとニコニコしながら戻って来ました。年取った方が「Hotel、Hotel」と言っています。彼女は黄鶴楼の方を指さし「黄鶴楼はまだ先ですよ」と言っても通じません。

 

 今度は若い方がへたくそな中国語で「飯店、飯店」と言っています。「解ったわよ」と仕方なく自転車タクシーの方向を替え、来た道を戻り始めました。「如何しよう10元貰えないよね、5元でも貰えればいいや」。

 

 帰りは若干下っていますので比較的楽ですが、最後の上りの事を考えると「兎に角勢いを付けないと」と考え、やはり必死で漕いで行きます。

 

 先程引いた汗がまた噴出して来ます。身体にブラウスが纏わり着いて来ますが、気にしている余裕はありません。とうとう、最後の上りに差し掛かりました。「兎に角只管漕ぐのみ」と渾身の力を込め前に進みます。

 

 だんだん勢いがなくなって来ました。彼女はその軽い体重をペダルにかける様に立ち漕ぎを始めましたが、2人のデカい日本人の体重に適う訳がありません。飛び跳ねる様に必死でペダルを漕ぐ彼女。

 

 その時、彼女がペダルを漕ぐ度にスカートがめくれ上がり、あられもない姿をさらしているなど思ってもいませんでした。「御願い前に進んで・・・」。

 

 すると後ろで「対不起(すみません)」と言うへたくそな中国語が聞こえ、思わず足を止めてしまい、坂の途中で停車してしまいました。「え、何、何、何、まだ半分以上残っているのに」。

 

 恨めしそうに振り返ると、2人の男は客車を降りようとします。「嫌〜、まさかこんなとこで、何をするの」と恐怖で凍り付く彼女。男達は、そんな彼女に見向きもせず、客車の後ろに姿を消しました。

 

 すると後ろから、「ゴ―、ゴー」と言う掛け声が・・・。彼女は気を取り直しペダルを踏むと軽々と坂道を登って行きます。「私は何を考えていたのかしら」と、思わず「対不起(すみません)、対不起」と言っていました。

 

 あっと言う間にホテルの入口に到着しました。彼女は申し訳ないやら恥ずかしいやらで、お金など貰えないと思ったのですが、年寄りの方の日本人が財布から見た事のない新品のお札を出し、渡してくれました。

 

 「え、何これ、これが兌換券」。数字を見ると100と書いてあります。「嘘、こんな大金、御釣りなんて無いよ」。彼女は困ってしまい「もっと小さいお金ないですか」と言っても通じていません。

 

 二人の日本人は顔を見合せ何か話しています。彼女はそこに居合わせた同業者のオッサン達に崩せないか聞きましたが、「そんな大金ないよ、ただ働きだったなぁ〜」と取り合ってくれません。

 

 途方に暮れていると、若い方の日本人が、へたくそな中国語で「小姐」と呼びかけ、手招きしています。財布からこれも真新しい兌換券を取り出し差し出しました。10と書いてあります。

 

 先程の100兌換券を返し、10兌換券を貰おうと近づくと、年寄りの方が10兌換券を差し戻し、手を振りながら「謝謝」と言い、若い方の背中を押しながらホテルに入って行こうとします。 

 

 若い方も振り返り、手を振って「謝謝」と言っています。「え、このお金如何するの、貰っちゃっていいの」。彼女は思わず「謝謝」と言いながら何度も頭を下げるのでした。

 

 二人の日本鬼子(リーベンクイズ)改め、日本貴子(リーベンクイズ)は振り返り、また手を振っています。彼女も満面の笑みを浮かべ、「謝謝」と言いながら手を振り続けるのでした。

 

 「ありがとう・・・」。

 

 

 

(つづく)


明るい未来へ・・・

明るい未来

 思いもよらず、大金を手に入れた彼女。するとオッサン達が「お嬢ちゃん、それ使えないぜ、可愛そうだからオジサンが100元と変えてやろうか」と言って来ました。「結構です」。

 

 オッサン達は急に態度を変え「じゃ〜、110元ならいいだろ」、「嫌よ」、「解ったよ120元と変えてくれよ」、「200元ならいいよ」、「ちぇっ、ダメか」、「お生憎様、大金持ってないんじゃなかったの」。

 

 兌換券と人民元の公定レートは、1兌換券=1元なのですが、闇の交換レートは、1兌換券=1.5〜1.8元。兌換券の価値の方が高いのです。

 

 兌換券は、外国人に、友諠商場・ホテル・空港などで金を使わせる為に発行されたと言っても良いのです。高級品や外国製品は友諠商店でしか手に入らず、兌換券でしか買う事が出来ませんでした。

 

 また、兌換券は外貨に替える事が出来ました。改革開放で富を得た一部の中国人は高級品や外国製品欲しさに、兌換券を欲しがったのです。その為、市中にはブローカーが暗躍していたのです。

 

 彼女は颯爽と自転車タクシーを走らせ、坂道を下って行きました。さっきとは打って変わって、頬をなでる風が気持ち良く、心も軽く明るい前途への期待が膨らむのでした。

 

 「まさか日本人がこんなに親切だったなんて、嘘みたい、親も先生も日本人は人でなしだって言ってたけど、良い人もいるんだ」。

 

 大学の先生に相談すると、兌換券を高く交換してくれる人を探してくれました。100兌換券は180元と交換して貰えたのです。 

 

 先生に御礼として10元差し出したのですが、「これからお金が要るでしょ、それに使いなさい」と2元だけ受け取り、8元は返してくれました。

 

 滞納金を支払い、就職までの生活費を差し引いても100元は残ります。彼女の就職先は国営企業、就職すれば社宅が貰えます。もうお金の心配もしなくて良いのです。

 

 その年の10月、彼女が国営企業で働き出して1ヶ月が経ちました。

 

 部長が部下を集め「今日、日本の大事なお客さんが来ます、明日からは私と孫経理と李さんは案内の為留守にしますが、後の事を残った人数で処理して下さい、だから日曜日も仕事ですよ」。

 

 部長は「鉄の女」と恐れられる何女史。仕事は厳しいが、部下思いで、彼女にとっての憧れです。まだ大した仕事はさせて貰っていませんが、何部長の様になりたいと思っていました。

 

 孫経理には遠く及びませんが、先輩の李さんになら追いつけそうです。

 

 翌日、日本の客が持ってきた御土産のお菓子が配られました。丸い形でペラペラの堅いお菓子です。口に入れると「なんて美味しいの」。彼女は何時か日本に行ってみたいと思う様になっていました。

 

 「日本の客ってどんな人達だろう、あの時の様に良い人達なのかな」。

 

 6日後、案内から帰った何部長達ですが、日本の客を招いて朝から会議室でミーティングです。残念ながら彼女の出番はありません。

 

 すると、何部長が会議室を出て来るなり彼女に、「7人分のお茶を用意して会議室に持って来て頂戴」、「はい、解りました、すくにお持ちします」。

 

 お茶を持って会議室に行くと、何とあの時の2人の日本人です。固まる彼女に何部長が「何してるのさっさと配りなさい」。我に返った彼女は手の震えを押さえながら2人の横にお茶を置きました。

 

 年寄りの方は話に夢中で、若い方は書類に目を通しています。若い方が振り向き笑顔で「謝謝」とへたくそな中国語を返してきました。彼女があの時の運転手とは気付いていない様です。

 

 少し寂しさを覚えつつも、彼女の頬は赤く染まっていました。

 

 

 

(終わり)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 3回目の中国出張時に、お茶を出してくれた国営企業の小姐が、自転車タクシーの運転手だったと言う事実を知ったのは、 5年後の事です。その経緯はまた別の機会にいたします。

 

 ただ、私が彼女から告白された事実は、武漢大学を卒業し国営企業に就職した事、私達にお茶を出したと言う事だけです。後は私が想像して創った話だと言う事を御理解願います。

 

 残念ながら、中国で日本人は嫌われています。中国政府によりかなり誇張されてはいますが、過去に永年に亘り、嫌われる事をしたのも事実です。何時か仲の良い隣人となる日が来る事を切に望みます。

 

 しかし、人の縁とは不思議なものですね。彼女は5年間、私が手にした船積書類を作り続けていたのです。

 

 因みに兌換券は現在使われていませんので悪しからず・・・。


上海潜入作戦

上海潜入

(「汗に濡れた白いブラウス 」からの続き) 

 

 翌朝朝食後、国営企業の面々がやって来ました。

 

 Kさんは北京のフライトを変更して部屋でミーティングです。私は冒頭、昨日のミーティング内容を確認念押しして、上海のフライトの為、国営企業の新米通訳と伴に空港へと出発したのです。

 

 武漢空港のチェックインカウンター(と言っても窓口が一つあるだけです)の前で待つのですが、前回酷い目に遭っていますので(「空港での肉弾戦そして・・・」参照)、通訳に側にいて貰いました。

 

 すると、公安官が近づいて来ます。「あ、あの時の兄ちゃん・・・」。彼も覚えていた様でニコニコしながらやって来ました。「?好、?好」と言いながら握手すると、通訳がびっくりしながら「お知り合いですか」。

 

 前回の経緯を通訳に説明していると、公安兄ちゃんが窓口の扉を叩き何かっ言っています。扉が開くと係員に私の方を指さして、何か命令している様です。すると兄ちゃんが手招きします。

 

 通訳が「特別に搭乗手続きしてくれるそうです」って、それは助かりす。セキュリティーの前で待っていれば良い事になり、すんなりと通過する事が出来たのです。「兄ちゃんありがとう」。

 

 前回、御礼出来ませんでした(受け取らなかったのです)が、今回も日本の煙草を渡したのですが「いらない」と言います。

 

 「それでは私の気が済まないから、如何か貰ってださい、貴方が吸わないなら仲間にあげてください」と言うと「謝謝」と言って、手を振りながら立ち去りました。これも面子なのです。

 

 通訳と別れて空港内に入ったものの、ここからがまた厄介です。しかし前回の経験から、搭乗客に聞くべしと悟った白楽雲、手当たり次第に聞く事にしました。空港職員は当てになりません。

 

 しかし、私は一番乗りです。搭乗客が入って来るなり行動開始です。

 

 「請問、?去上海?(ちょっとお聞きしますが、貴方は上海に行きますか)」、「不去(行かない)」。「請問、?去上海?」、「不去」、何人かに聞くと「去(行く)」と言う返事が・・・。

 

 すかさず、「請?看看(ちょっと見てください)」と私の搭乗券を見せ、「一様?(同じですか)」と聞くと、自分のを取り出し「一様、一様」、「謝謝」。これで一件落着。チョロいもんです。

 

 この人について行けば間違いありません。しかし、搭乗時間が過ぎても動きがありません。搭乗客がざわついています。30分ほど過ぎた時、「遅延」の札が掲げられました。

 

 「遅延ならいいや、今日中に着けばいいんだから」と待っていると、結局2時間遅れで搭乗開始です。しかも、ボーイング727の筈が「双発のプロペラ機やないけ〜びっくり、聞いてないよ〜ムキー」

 

 中国で、ロシア製又はプロペラ機に絶対乗るなと言われていた時代です。白楽雲は死を恐怖した、いや、死を覚悟した(北斗の拳より)。

 

 ポンコツ双発プロペラ機は何とか離陸しましたが、上空に上がるとエアコンの吹き出し口から煙が・・・びっくり。恐怖で固まる白楽雲、しかし、中国人は騒いでいません。無臭の煙です。

 

 上空の冷たい空気が入った事で機内の水蒸気が霧状になったのでしょう。取り敢えず一安心ですが、機体がペコペコ言っています。気圧で膨らんだり縮まったりしている様です。

 

 「コ ワ イ 〜 びっくり」。

 

 大げさの様ですけど、飛行時間も長いし、むちゃくちゃ揺れるし、生きた心地しなかったですよ。白楽雲は死を覚悟した(もういいってのムキー)。

 


 

 写真は上海上空で撮影しました。結構農地も多いですよね。今ではぎっしりビルが建っているのでしょうか。26年前の上海です。

 

 こうして何とか無事に上海に潜入する事が出来ました。タクシーを拾い「日航龍柏(リーハンロンパイ)」と言うと「龍柏・・・、好好」。良かった通じたよ。

 

 泊まるホテルは日本航空系列の「日航龍柏飯店」(現在は日本航空系列では無く名前も「逸和龍柏飯店」となっています)。夕食と朝食付きです。

 

 ホテルで夕食を食べ゛、「明日は別の商社のSさん(前回後半行動を伴にした)と落ち合えば、後はついて行くだけだ、もうこっちのものだ」と安心して眠りに就く白楽雲でした。

 

 

 

(つづく)


やっちまったなぁ〜

やっちまったなぁ

 翌朝8時に朝食を摂り、何時でもチェックアウト出来る様に荷物を整理すると、ホテルのロビーで土産用の煙草(阿詩瑪)を3カートン購入。これから行く先々で御礼に配る為です。

 

 10時にタクシーを拾い、「機場(空港)」と言うと、「#$%&」。通じてないんかい、もう一度、「機場」と言うと、「好」。良かった、良かった、通じた様です。10分程で到着しましたが、何か変です。

 

 昨日来たところと違う様な・・・。入口には「国??(国際線)」と表示されています。そう言えば、上海虹橋国際空港は国際線と国内線が分かれているから気を付ける様に旅行会社に言われた様な・・・」。

 

 「上海でね、国際線と国内線を間違っちゃった阿保がいたんですよ〜」、「何ぁ〜に〜、やっちまったなぁ〜」。

 

 「直ぐに、国内線の方に行かなければ・・・」。

 

 因みに、現在、主に使われるのは上海浦東国際空港で、虹橋空港は国内線が主になっています。当時は浦東空港はありませんでした。

 

 メモ用紙に「国内線」と書き、タクシーに見せると「#$%&」と言って乗せてくれません。どのタクシーも乗車拒否です。「え〜、如何すりゃいいの、俺」。

 

 歩いて行くにもどうやって行けばいいのかさっぱり解りません。一旦ホテルに行ってから出直せばいいのか」などと思案していると、若い兄ちゃんが流暢な日本語で声をかけて来ました。

 

 「如何しましたか」、「国内線と国際線間違っちゃって、でもタクシーが乗せてくれないんですよ」、「解りました少々お待ちください」。如何見ても日本人じゃありません。日本語もちょっと硬い。

 

 すると兄ちゃん、座っている(監視している?)公安官を連れてやって来ました。公安官はタクシーに何やら言うと「#$%&」。「乗って下さい」、「いいんですか」、「心配だから私達も一緒に行きます」。

 

 公安と兄ちゃんに連れられて、あっという間に国内線に到着。お金を払おうとすると公安官がそれを制し、払ってくれたのです。更に、私が連れと合流するまで一緒に居てくれるって言うんですよ。 

 

 私は感激しましたね。取り敢えず御礼に煙草を1パックあげようとしましたが受け取りません。「でも、申し訳ないから」と言うと、「この人私の兄さんだから大丈夫です」って、そもそもアンタは誰なの。

 

 「せめて一本ぐらい貰ってよ」と差し出すとそれは受け取ってくれました(火を点けてね)。

 

 公安官が私の目的の便名を聞き、調べてくれたところ、1時間の遅延だと言う事が判明。これでは、ホテルに戻るのが12時を過ぎてしまいます。

 

 12時を過ぎると超過料金を支払う羽目になってしまいます。一旦ホテルに帰る事にして、2人に丁重にお礼を言って分かれました。別れ際に、「機場(ジーツァン)の後に国内(グォーネイ)と言って下さい」と教えてくれました。

 

 なるほど、タクシーに乗った時、運ちゃんが「#$%&」と言ったのは国際線か国内線かを聞いたのですね。勉強になったな〜。

 

 ホテルをチェックアウトし、荷物を預かってもらい、11時15分に再度タクシーを拾い、「機場(ジーツァン)、国内(グォーネイ)」と言うと、「好好」、通じましたが、「#$%&」って何。解りません。

 

 運ちゃん諦めて走り出しました。大丈夫なんかい俺・・・。しかし、無事に国内線に到着しました。また「#$%&」と言っていますが無視。

 

 Sさんとも無事合流。今日のホテルはSさんが予約したホテルです。「ちょっと私の泊まったホテルによって貰えますか、荷物を取って来ます」。

 

 Sさんは運ちゃんに、「日航龍柏飯店、#$%&#$%&」。「あれ何も言わないよ」、「如何かしましたか」、「さっき空港に来るとき、行先告げた後、運ちゃんが何か言ってたんだけど、何も言わないなと思って・・・」。

 

 「あ〜、多分、回来?(ホェライマ)って言ったんじゃないですか」、「そうそう、それそれ、如何言う意味ですか」、「また、戻っ来ますかって言う意味です、並んで客待ちするより、戻るの待っていた方が確実ですからね」。

 

 「なるほど」、「戻るなら回来(ホェライ)、戻らないなら不回来(プホェライ)って答えればいいですよ」、「へ〜そうなんだ」。

 

 今日は勉強になりました。因みに、「ただいま」は「我回来了(ウォホェライラ)」、「おかえり」は「?回来了(ニィホェライラ)」。短縮して「回来了」、「回来了」と言う事もあります。

 

 ではみなさん御一緒に、「我回来了(ウォホェライラ)」、「?回来了(ニィホェライラ)。はい良く出来ました(何言ってんだよムキー)。

 

 それでは本日の中国語講座はこれで終了です。皆さんさようなら、また明日・・・(オイオイ、冗談言ってんじゃじゃね〜ぞムキー)。

 

 

 

(つづく)


楼外楼での食事(西湖のほとりで・・・)

楼外楼

 日航龍柏飯店で荷物を受け取り、別のホテルに着いたのですが、昼食を摂った後、ワゴン車を借り、浙江省の杭州まで移動するんだって。勘違いしておりました(いい加減だなぁプンプン)。

 

 頼りになる人と一緒だと、他力本願となってしまう白楽雲です。後半のスケジュールはSさんと合流するところまでしか頭に入っていません。だって、後はついて行くだけですから・・・。

 

 と言うのも、今回の調査対象は私の部署の案件では無く、別の部署の管轄です。適当にサンプル取って、写真撮っておけばいいのです。やる気なんて起きる訳がありませんよね(誰に聞いてんだムキー)。

 

 上海→杭州間は、高速道路はまだありませんでしたが、油面(アスファルト舗装)の比較的良い道であったので、4時間半程で着きました。

 

<%上海・杭州 %>
 油面(アスファルト舗装)の道路(信号などありません)

 


 見渡す限り田園地帯です

 

 ホテルに着いたのは、まだ午後6時前です。ホテルは杭州友好飯店。岐阜市と杭州市が姉妹都市提携をしたのを切っ掛けに、岐阜市の企業が合弁で造ったホテルです。

 


 ホテルの窓から見た風景(有名な西湖が望めます)

 

 支配人は日本人です。いきなり支配人をやれと言われて面食らったそうですが、楽しそうでしたよ。私も5年後、同じ様な境遇になりましたので、気持ちは解ります。古き良き中国でした。

 

 江沢民政権になってから、中国は嫌な雰囲気になって行きましたね。

 

 Sさんが、「夕飯は楼外楼に行ってみましょうか」、「ロウワイロウって何ですか」、「創業100年以上の老舗レストランです」、「行きましょう」。

 

 西湖に突き出た佇まいの歴史あるレストランです。しかし、満席で入れません。それでもSさんは怯みません。

 

 辺りを見渡し、店員に厳しい口調で何か言っています。私は彼の背中に隠れて成り行きを伺うのみ。「ガンバレー」。

 

 すると、「テラスでも良いですか」、「何でも良いですよ」。急遽、西湖に面したテラスにテーブルが用意され、私達だけのテラス席の出来上がり。

 

 湖面を吹き渡る風が心地よく、眺めも最高と来たもんだ。Sさん相変わらずいい仕事をしてくれます。まさに特等席ですね。これが女性とのツーショットだったら最高なんでしょうが、男二人ですショボーン。

 

 ビールも冷えてて美味いし、料理は美味かったですよ。何を食べたかはもう忘れましたが、ジュンサイのスープだけは覚えています。絶品でしたね。

 

 あまりの美味さに、みるみる水位が下がり、器の底に何やら黒い物体が見えて来ました。蓮華ですくうと、何と、何と、何と、「ゴ、ゴ、ゴ、ゴキブリ〜」。

 

 直ちに西湖にポチャリ。嫌がらせか、不可抗力か。でも美味しかったのは事実。隠し味か。兎に角、何も見なかった事にして、食事終了。

 

 上海や杭州に来て思ったのですが、日本人にとって一番口に合う味付けだと言う事です。それもその筈、日本人のルーツなのですから。

 

 最近のDNA調査で、弥生人は揚子江下流域からの渡来人である事がほぼ間違いない様です。その後の倭人の風習からも共通点が多いですね。

 

 明日から終日車での移動。油面(アスファルト舗装)の道路は期待出来ません。兎に角ゆっくり休みましょう。ゴキブリの事は忘れて・・・。 

 

 

 

(つづく)


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