龍脈を意識していた古代中国王朝!!

龍脈と王朝

龍脈と王朝

 

中国初の王朝と言われる夏王朝は、聖王と称される堯・舜・禹の禹が祖と言われます。

 

 この3人は最も優れたリーダーであり、古代風水の伝承者です。

 

 夏の都は河南省登封市(嵩山の麓)辺りと言われ、その後、都は洛陽郊外に移り、悪名高き桀王を追放し殷王朝を建てた湯王は現在河南省の省都である鄭州市(洛陽の東、嵩山の北)を都としました。

 

 夏および殷の都は洛陽又は嵩山周辺の龍脈の近くであったのです。以下、龍脈と王朝の関係を見てみましょう。

 

 殷の紂王(酒池肉林で悪名高き暴君)を倒したのが周王朝です。周は古公亶父が西安の西約15kmの岐山の麓を都として建てた地方政権で、殷王朝に属していました。

 

 その孫の姫昌(後文王を追贈)は呂尚(太公望)を軍師に迎え、殷討伐軍を興します。呂尚は姫昌の死後、息子の姫発(後の武王)を助け、周建国の立役者となりました。都は鎬京(現西安)。

 

 呂尚は東方の異民族の平定を望み、東のはずれの斉の地に封じられます。政権から遠ざかると同時に洛陽・西安に劣らぬ龍穴の地である営丘を手に入れ都としました。

 

 結果的に斉は周の時代の大国であり、学問の中心として栄えました。西には古くから聖山とされる五岳の1つ東岳の泰山があります。

 

 周は鎬京(現西安)の西周と洛邑(現洛陽)の東周に分裂し争い、東周が勝利しましたが、次第に名目だけの王朝となり、諸侯による覇権争いの時代となります。

 

 覇権争いに勝利し、中国統一を果たしたのが秦帝国です。秦は西周の故地を領土として、西安の西約5kmの咸陽を都としてから強大となり、続く漢帝国も長安(現西安)を都として大帝国となります。

 

 西安周辺には南に秦嶺山脈、東に古くから聖山とされる五岳の1つ西岳の華山があります。 

 

 西安周辺に都を置いた王朝は、西周・秦・前漢・隋・唐などの大帝国又は安定王朝が多く、洛陽周辺に都を置いた王朝は、東周・後漢・魏・西晋など不安定王朝が多いです。

 

 初期の王朝の都は洛陽か西安と相場が決まっていました。洛陽は龍脈としては西安と同等と言えますが、地勢的に劣っているのですね。

 

 女真族の王朝である金が燕京(現北京)に都を置いて以来、モンゴル族の元、漢民族の明、満州族(女真族)の清、そして中華人民共和国と、ほとんどの王朝(国)が北京を都としました。

 

 北京は周の時代の燕国にあたりますが、中原から離れた辺境の地で漢民族には見向きもされませんでした。異民族によって皮肉な事に龍穴の地とされたのです。

 

 この様に、中国の王朝は龍脈(花崗岩帯)の近くに都を置き、王朝を維持して来たのです。と言うより龍脈の近くに都を置く事で繁栄を築いたと言って良いと思います。少なくとも龍脈を意識していたのは間違いないのです。

 

 

 これが龍脈と王朝の関係です。

 

 

 

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